Berkeley
Berkley はこちらではどうやらむしろ「バークリン」と聞こえるような発音なので、これからはバークリーと表示します。もともとこの地名は、アイルランド司教で哲学者のG.バークリー(George Berkeley)さんの名にちなんでつけられたものだそうです。
今日は、受け入れてくださった、歴史学のA.バーシェイ(Andrew E. Barshay)先生に、こちらにきて初めてお会いしました。まあここではどの先生もそうなのでしょうが、本当にフレンドリーで、権威主義のみじんも感じません。学期初めでお忙しそうだったので、雑談と簡単にご挨拶をすませて研究室を出ました。その際、「ここの東アジア・ライブラリーをご覧になりましたか? 全米一の図書館です。」と教えていただきました。ハーバードとは量的には拮抗するらしいのですが、ここは新しくできた分、最新のシステムが導入され、「全米一」だとのことです。
というわけで、「全米一」の図書館へ行ってみました。UCバークリーは、メインの図書館がほとんど中心部に集まっていて、それがこの大学の心臓部ともいえます。
写真左がメイン図書館と、シンボルの Sather Tower です。そして真ん中が、これも巨大な「東アジアライブラリー」です。中の様子が右の写真です。
まだIDカードが出来上がらないので、図書館には入れないと思っていましたが、本は借りられないにしても、誰でも入れるようです。もっと早く来ればよかった…。
中をしばし探索し、検索システムなどをいじって、今さらですが、日本が戦争でアメリカに負けた理由がわかりました。アメリカは、まさに「帝国」として、世界のあらゆる事物を収集し、知っているのです。中国語や日本語などの東アジア言語が入り混じった分類で、しかもジャンクな本であろうとなんであろうと、一緒くたに何でもかんでも並べてあります。日本の各大学の紀要や新聞雑誌なんかもちゃんとありました。
ここにいるほうが、日本がわかる…。
本当にそう思いました。並べ方や集め方はセンスがなかったとしても、とにかく全部集めてしまえ、というやり方。これがアメリカの帝国的な知性を支えているのです。これは「量が質に転化する」というやり方で、お金や力がないとできません。物量で圧倒的に日本は決してアメリカに勝ることはできないと感じました。
だから、日本のような国、日本のようなアクターが生き残ってゆくためには、センスと緻密さ、量がなくても質を作り上げる「テクニック」がどうしても必要になります。
アメリカ留学された方には当たり前のことなのかもしれませんが、圧倒的な力を持つ図書館に出会って、ちょっと幕末や明治期の留学生みたいな気分になってしまいました。
そういえば、ここに来る目的のひとつは、「日米関係の新たなあり方を思案する」ということでもありました。図書館に行って、ますます勉強意欲が高まります。
この「日記」は、留学中のブログというか、「備忘録」のような形で利用させてもらっています。同時に、ぼくに関連のある友人たちに、近況を知らせるツールでもあります。
さて、今日も忘れないうちに。
写真にあるように、ここで生活するためには、これだけの鍵をいつも持ち歩いていなければなりません。
オーストラリアでもそうでしたが、ここは西欧文化、鍵の文化です。
鍵のなかには、洗濯場のドアの鍵や郵便受けの鍵のみならず、共用ごみ箱の鍵、オフィスのトイレの鍵まであります。家やオフィスにたどりつくまでに、これらたくさんの鍵のなかから一つを選んでスムーズに使いこなせなければなりません。
「パブリック」にすべてが開かれている一方、ひとつひとつの部屋はきっちりロックされている。この空間感覚は、日本と少し違うところです。
また、この国では、IDカードやシステム上の身分証明(クレジットカードなど)が死活的に重要です。まず、見た目では何も判断できません。ぼくに限らず、ピッピーのなれの果てなのか、ホームレスなのか、大学教授なのかわからない人々がたくさん生息していますし、人種・性別・年齢・身長・体重・服装などでは、一切差別はタブーです。これはかつてぼくの家族が住んでいた「多文化主義」のシドニーなどよりも徹底している気がします。「あなたはどんなであってもいいんですよ」と常に社会から言われている自由な雰囲気。これが最大のここの魅力なのですが、そのかわり、その権利や利益を個人に保証するのが、IDと鍵なのです。
開かれ方と閉じられ方。この両面からさまざまな社会を比較できるかもしれません。