Berkeley

2008

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Aug 30
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→2009

美術館三昧 2

2008年12月13日00:45

MOMAでは、ちょうど「ゴッホ展」をやっていました。
中学生、高校生の時、本当にゴッホが好きで、机の脇に自分で切りぬいた写真を貼っていたりました。若いころの過剰な生のエネルギーと共鳴したのかもしれません。

「ゴッホ展」にような企画は日本でも少なからずやっているはずで、ぼくも何度か観に行った記憶があります。今回感じ、考えた事は、ゴッホが何を書 こうとしたのかということについてで、それは必ずしも直接、被写体である人間や生命の表層ではないのではないのかということです。まだうまく考えが熟して いませんが、常に絶対的な「何か」、上から降り注ぐ光のような「何か」が前提とされ、またそれが激しく希求されているようにも感じました。

ゴッホの思想や人生については、これまでいつも頭のどこかで気になってきたことなのですが、ほこりをかぶった「それ」がまた問題となって光に照らし出されたようでした。

冒頭の写真は、出会った作品のお気に入りの中から。左から、アンリ・ルソーの「夢」、ピカソの「鏡の前のガール」、エドワード・ルシェの「OOF」です。ルシェは、今回はじめて知ることになりましたが、作品の鮮烈な印象には忘れ難いものがありました。





国際連合・WTC

2008年12月13日01:47

昨日は、国連と「9・11」の今を訪れました。

国連は、今年の8月から、以前から取り沙汰されている建物の老朽化を解消するべく工事中のところが多く、実際には「総会」の議事場ぐらいしか見学 できませんでした。「総会」の会場は予想よりもずいぶん大きかったです。議場の両側には、広大な通訳ブースのスペース。通訳は国連全体で約200人が雇わ れ、議事は各国語に同時通訳されていきます。椅子の手元にあるイヤホンを耳につけてチャンネルを合わせると、生々しい会議の様子が飛び出してきます。

英語による館内の案内は、広報部の国連職員の方がやってくださるのですが、ぼくのグループの担当者はたまたま日本人職員の方でした。きけば、国連 には現在約130人ほどの日本人が働いているそうです。国連職員は、激務の割には条件が悪いというイメージがあったのできいてみると、彼女の契約もなんと 「半年ごと」の更新制だそうです。

きわめて明快な英語と、質疑応答の正確さ、気配り、どれをとってもお見事なお仕事振りでした。

さて、ぼくにとって一番印象に残ったのは、ハマショルドがつくったといわれる「祈りのコーナー」です。写真左の正面はおそらくシャガールのステン ドグラスです。こんなところでもシャガールに出会えるとは思いませんでした。国連には、まるで美術館のように世界中から送られた無数の芸術作品が展示され ています。この写真の左側の壁に、朝鮮戦争やPKOで亡くなった職員や兵士を祀った記念碑があり、その奥に「祈りのコーナー」の入口があります。

中は抽象的な石のオブジェが置いてあり、いかなる宗教に基づいても祈りを捧げることができるようになっていました。国連の中でおそらく一番静かなこのスペースは、ぼくには国連の心臓部であるように思えました。

国連を出て、地下鉄を乗り継ぎ、次の目的地であるワールドトレードセンターへ向って行こうとすると、ちょうど国連ビルの前の通りを挟んだ向かいの ベンチに、冷たい雨に濡れて寒そうにぐったりしているホームレスの黒人を一人見かけました。国連ビルの前にうなだれるそのホームレスの姿が今でも目に焼き 付いています。

ワールドトレードセンター。

写真の真ん中を見てください。向かいにある「ワールドファイナンシャルセンター」から撮った写真です。あれから7年以上が経っても、まだ大都会の 真ん中にポッカリ穴があいたままです。天気が悪かったせいもあるかもしれません。しかし、「リバティ・タワー」かなんか知りませんが、威勢のいい復活への 呼びかけは、まだ実現には時間がかかりそうでした。工事現場で国旗をかかげながら仕事をする建設会社の人たちも冷たい雨に濡れてくたびれているようでし た。

写真の右は、ちょうどこの工事現場を撮った場所でみかけた親子です。ニューヨークの人たちは、依然としてこの大きな「穴」をただぼんやり眺めるだ けです。しかし、ぼくは、ここにはずっと「穴」が空いているべきだと強く感じました。欲望と、ひたすら未来にだけ向かっているこの異常な街は、このすべて の暗部を吸い込むかのような「穴」がなければ、またバランスを失ってしまうのではないか、とも感じました。

またよく見ていると、「穴」を見つめる人々の目は、単に悲しみに暮れるというだけではない、何かそれを見つめ続けようとする、静かな、時に安らぎにも似た、意志をも湛えているようでした。

「グラウンド・ゼロ」という名称が、このニューヨークからすっかり姿を消す頃には、また大きな落とし穴が待ち構えているような気もします。その後 訪れた「WTCビジターセンター」では、痛ましい被害者の記憶や記録が展示されていました。特に、個々人の顔写真やプロフィールなどを一つ一つ見ている と、あの瞬間に、その人たちがもっていたすべての可能性が失われてしまったのだという事実を痛感し、底知れぬ悲しみに襲われます。

ただ、やはり、そこにあったのは、「被害者としてだけの」記憶と歴史のあり方でした。

だからこそ、「穴」はそこにずっとあったほうがいい。

世界一忙しい国連に、無音の一点があったように、世界一忙しいニューヨークにも、底知れぬ「穴」が必要なのではないか。強くそう思わされました。