Berkeley
けっこう自国の古い時代の映画はみのがしていることが多いものです。今回アメリカに来て、ぼくも初めて、「外」の視線から、まとめて日本映画を観ようと思っています。
大学の、ぼくの所属する日本研究所と、パシフィック・フィルム・アーカイブなどが共催で、今日から12月半ばまで、週末はずっと日本映画を上映します。この企画は、「日本映画――マダム・カワキタの遺産」というタイトルがついています(写真はチラシ)。
マダム・カワキタ(川喜多かしこ)さん(1908~1993)という名前は、実はぼくもこちらに来て初めて知りました。世界の主だった映画祭の審査員でもあったこの人は、日本映画の名作を数多く収集・保存し、世界に紹介したことで知られています。
今日観たのは、黒澤明「野良犬」(1949年)と市川崑「炎上」(1958年)です。いずれも存在は知っていましたが、観たことがありませんでし た。そしてとくに「野良犬」は、これまで観なかったことを後悔しました。1949年という年代がどういう時代であったのか、無数の発見がありました。ま た、この映画で登場する若き三船敏郎(刑事役)は、盗まれた一丁の拳銃にこだわり続けるのですが、それはまるで戦後日本における理想主義の結晶であるかの ような輝きを発しています。個々のカットの斬新さや芸術性はもちろんのこと、今観るとそのプロットの深さに驚かされます。GHQの検閲下でありながら、戦 後日本の「誤りの始まり」について、明確に告発した映画であると思いました。
実はぼくのアメリカでの研究課題は、この1950年代の日米関係にあります。日本人の「繁栄の始まり」であると同時に、「誤りの始まり」であった 50年代をもう一度検証してみたい。それは、現在の日本が抱えるほとんどの問題の根源がこの時代にあると思ったからです。だから、この時代の映画を観るこ とは、趣味であると同時に、立派な研究の一部でもあります。「野良犬」は、当時の時代と深く切り結んでいるという意味でも、傑作であると思いました。
「炎上」は、三島由紀夫の「金閣寺」を映画化したものですが、市川監督の解釈で考えると、三島が現代の「テロリスト」のさきがけであったのではな いか、ということにハタと気がつきました。「美」と「真実」に生きようとする青年に燃やされる金閣寺は、まさに現代のワールド・トレード・センターと重 なって見えます。
戦後日本は、当初の野生の理想主義を捨て去って、どんどん「買収」されていきます。その中で、それに根源的な疑問をもった無数の精神が確かに存在した。「野良犬」も「炎上」も、それをしっかり刻印いしてると思います。抵抗と敗北の戦後?
明日は、市川崑監督の「満員電車」(1957年)を観ようと思っています。