Berkeley
日本とは一日遅れの新年を迎えました。
昨晩は、サンフランシスコの街に行き、「カウントダウン」してきました。
ベイブリッジを臨む港では、花火が打ち上げられ、それを観に来ていた人々は、ざっと10万人近くはいたと思います。写真にあるように、花火が全部 見られる場所にはとうていアクセスできないほど、そこは人であふれていました。野球観戦や新潟花火など、「群衆」を間近に見た経験はありますが、これほど 大規模なのは初めてかもしれません。
ですから、2009年は、ぼくは「群衆」とともに迎えたわけです。
「群衆」の多くは、得体のしれない高揚感に包まれ、お酒を飲んで大きな声を張り上げ、バカ騒ぎをする人も多く見かけました。寒いのに、多くの若い女性たちは、水着のようなドレスを着て、鳥肌を立てながら街を闊歩していました。
道行く人と気軽に新年のお祝いを言い合うフランクな感じは大好きです。でも、こういうアメリカ式の、いわば「やけくそ的」新年の迎え方は、日本人 のぼくにはちょっと入り込めない感じがありました。やっぱり、静かに除夜の鐘をききながら…、というのがいいなあと思います。それと、実はそもそもなぜ彼 らがこの新しい年を、ああも浮かれて迎えられるのか、皆目分からないとう気持もわき起こります。
写真の右は花火見物から帰る人々の顔々々々です。こういう「群衆」がプロデューサーで、また主役でもある、きらびやかで貪欲な21世紀の世界。この世界の周辺では、依然として、最小限の平和さえ享受できない無数の人たちをとり残したままです。
ぼくはアメリカに来て、自分が日本で、日本発の平和研究を貫徹することの意味を再確認できたような気がします。それが2008年の最大の収穫だったと思います。
今年は、さらにそれを「形」にしてゆくことが課題です。毎年立てる目標なのですが…。小学校から進歩がありません。
最後に、2009年の年頭は、今では「文明」の名にかき消されてしまったネイティヴ・アメリカン(アメリカ先住民)の断片的なことばに耳を傾けてみたいと思います。
少女がはじめて野イチゴを摘んできたとき
はじめて芋を掘ったとき
それは老人の手にわたされる。
――今後の収穫を分かちあうようにと。
少年が汲んだ水のなかから
少女の摘んだ野イチゴのなかから
老人は肉をあじわう仕草をし、褒(ほ)める。
(サリッシュ族 モーニング・ダブ(1888‐1936))
(エドワード・S・カーティス『ネイティヴ・アメリカンの教え』井上篤夫訳 講談社より。)
なんという美しい詩でしょうか。
なんという深い知恵でしょうか。
ここに謳われている、自然の摂理とともにある人間の生のあり方は、何度読んでも、感涙を誘います。
今年は、この美しい詩が謳う世界にほんの一歩でも近づけるような研究ができるよう、精進したいと思っています。