Berkeley

2008

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社会運動の痕跡

2008年10月23日07:53

バークリーに来て、約2か月、何と初めて、「Free Speech Movement Cafe」に行きました。文字通り、1964年の「Free Speech Movement」(以下FSM)の英雄、Mario Savio(1942‐1996)を記念した大学図書館内の有名なカフェなのですが、今まで行きそびれていました。韓国から来た民主化理論を研究している 同じ客員研究員の人と仲良くなって、ランチを食べに行きました。

「FSM」とは、言ってみれば、大学内における政治活動の正当性を確立した最初の運動で、すぐ後の強力なベトナム反戦運動のきっかけにもなりまし た。前の日記でブラスバンドやチアガールがお披露目をしていたあのSproul広場が舞台でした。当時の学長だったClark Kerrは、「学生に甘すぎる」という理由で、当時カリフォルニア州知事だったドナルド・レーガン(後に大統領)によってその地位を追われました。

今ではそれは「歴史」となって、カフェの壁の写真にあるだけとなっています(写真右)。しかし、大学のみならず街のいたるところでそのかつての痕 跡が見られます。私のアパートの近くには「People's Park」という名もなき公園があって、そこにはかつての出来事が壁画となって残っています(写真左)。壁画は、民衆の歴史的記憶の手段となります。今で は、この公園には、ホームレスやバック・パッカーがよく「泊って」いますが、彼らは何にひきよせられてここまでたどり着いたのでしょうか。

しかし何よりも、UCバークリーは、先のSproul広場を中心に、今でもきわめてパブリックに開かれた雰囲気を湛えています。本当に「パブリッ クに開かれている」としか言いようがないのですが、その大学がもつ「公共的自由」の空気の深淵には、きっとあの60年代の運動の経験が息づいているのだと 思います。歴史的痕跡は、モニュメントや記録だけでなく、街全体の「身体」が記憶しているのかもしれません。

先の同僚とランチをしながら、韓国と日本の民主主義の現状について語り、大いに盛り上がりました。それで、よくきいてみると、なぜ在外研究の地を バークリーにしたのか、という話になり、けっきょく二人とも、「この土地にひかれたから」という点で同じであることがわかりました。つまり、社会運動の痕 跡は、国境を越えて、異なる国の二人の研究者をも引き合わせたことになります。

この街で研究することの意味を、再度考えさせられました。