Berkeley
今日の映画は、羽田澄子監督の「AKIKO あるダンサーの肖像」(1985年)でした。
やはり羽田監督の持ち味は、日本料理のように、素材を活かすということでしょうか。日本のモダンダンスの第一人者のアキコ・カンダさんの芸術家としての人生と日常の真実を切り取った作品です。
アキコさんは、1935年生まれ。アメリカのモダン・ダンスの開拓者のひとりであるマーサ・グラハムの日本公演に感動し、19歳で単身渡米。6年 間マーサのもとで修業し、活躍もしました。帰国後はそのダンスに独自の要素を付加し、多くの芸術賞を受賞し、また多くの後進の育成にも情熱を注ぎました。
ダンス以外の人生はすべてそぎ落とす徹底ぶり。その集中力こそが彼女の才能の本質であることを見事にえぐりだしています。肉体も余計なものはすべ てそぎ落とされ、まるでジャコメッティの彫刻のようです。彼女の壮絶な努力と苦しみが、その喜びとともに描かれ、それが観る者を圧倒するだけでなく、か えって爽快な気分にすらさせます。手のひらから汗が流れおちるような練習風景は、芸術が「狂」の領域に達したかのような迫力です。
このわがままなひとりの芸術家に放り出された一人息子や、歳をとっても彼女を支える母親も登場し、しかし彼女の情熱にまっすぐな生き方が、彼らをしても彼女を応援する気にさせているという事実も明らかにされます。人間って…。
人生における孤独など、木の葉のように吹き飛ばしてしまうほどの情熱。ダンスそのものが存在証明である生。
この映画は80年代の映画ですが、映像を見ると、「日本はこんなに貧乏だったっけ?」と思うような生活や街の風景です。この20~30年でいかに 日本は変わったのか。「バブル」と呼ばれ、札びらが飛び交っていたはずの日本の中で、時代とは隔絶された「個」が追求していた芸術の真実。当時の日本で 「正気」であるためには、むしろ「狂」に至るまでの「個」の研ぎ澄ましが必要だったのかもしれない。そう思わされました。
彼女の、「マーサとは異なる自分の(身体の)ことばを探すのに6年かかったわ。それまでは、木に登ったりちょっと気が変になった時もあった。」ということばは、同じものを創りだす人間としてけっして忘れることができません。