Berkeley
昨日は、羽田澄子さんの映画を観たあと、ホームパーティに招かれていたので出かけ、おいしい料理と楽しい会話でいい時間を過ごしました。
そのお宅は、Walnut Village といって、退職者対象の閑静な高級住宅街の中にあり、その「村」には約9000人の高齢者が住んでいるとのこと。ひとつのモデルケースとして、海外からもたくさんの視察が来るようです。
そのパーティで、一人の日系ハワイ三世の退役軍人の方とお会いしました。ぼくが人生の中で会った初めてのカテゴリーの人です。
どんな会話で話そうかなと、愚かなことに、ハワイ出身ということで、「今回のオバマはよかったですね」と切り出したら、彼の奥さんが、「いや、彼 は根っからのリパブリカンなんですよ」とのこと。考えてみれば、当たり前です。その方は1959年から軍務についていて、ベトナム戦争にも参加したそうで す。もちろん、戦時中は日系人ということで、差別も受けました。きわめて複雑なアイデンティティの交錯が想像できます。
彼は、「オバマでもっと悪くなったらだれが責任を取るんだ」と言っていましたが、もっと驚いたことに、日本に滞在していた時には、埼玉県の朝霞基 地にいたということです。まさにぼくが育ったところ。ぼくは小学生時代、米軍関係者のフェンスで囲まれた住宅地によく忍び込んで、向こうのポリスに怒られ たりしました。また、そこでは言えませんでしたが、子どものころ、最初に上級生から覚えた英語が「クレイジーポーイ!」で、それを意味も分からず叫びなが ら、フェンスの向こうの芝生のある豊かそうな家に石を投げたりしていました。
そのフェンスの向こう側にいた人がここにいっしょにいて、食事をしている…。「池袋」とか「成増」とか「東武東上線」とか、きわめてローカルな地名がどんどん飛び出しました。ちなみに成増は昔は飛行場だったそうです。
人生というのは本当に不思議なものです。
終始一貫おだやかな彼の表情には、ぼくが想像できない経験の厚みがある…。彼から時々発せられる片言の日本語をきくと、なんだか太古の昔から歴史 が浮かびあがってくるようでした。ぼくは今、この「村」に住むすべてのお年寄りにインタビューをしたいという衝動にかられています。
ぼくが、「新聞で読んだのですが、サンフランシスコに退役軍人のホームレスが2000人いるそうですね」と言うと、「ヴェトナムに行った軍人はみ んな薬をやってダメになった。今でも政府からでるなけなしのお金をみんな薬に使ってしまうんだ。そういう連中がホームレスになる」とのこと。
この社会で暮らしていると、アメリカにいる移住第一世代の人たちは、みんな底知れず苦労してきたはずだ、ということが容易に予想できます。その方 は三世ですが、日系人であるという「ハンディ」があったはずです。奥さまも、とても苦労したはずです。今は、二人のお子さんが立派に成人され、一人は大学 教授、一人は言語療法士で、なんの不安もなく、この「村」でゴルフをしながら余生を楽しんでいる。だから、彼らから見ると、ホームレスの退役軍人たちは、 「努力が足りなかった」ということになるのでしょうか。いずれにせよ、アメリカのリパブリカニズム(共和主義)を支えるエートスのひとつを垣間見た気がし ました。
その方には、神さまが許せば、またお会いできればと思います。