Berkeley
今日の映画は鈴木清順監督の「ツィゴイネルワイゼン」(1980年)。
原作は内田百閒の「サラサーテの盤」。
前回、誉れ高き「殺しの烙印」を観ていられず、怒って会場を飛び出したと書きましたが、今回こそは、と出かけました。「ツィゴイネルワイゼン」も鈴木監督の代表作の一つで、これも海外で高く評価された作品です。
結論。 ―― でも、やっぱり合わないんだな、この人とは。
弟のNHKアナウンサー鈴木健二さんもあんまり好きじゃなかったので、たぶん鈴木家と合わないのでしょう。
才能のなさを奇抜さでカバーしようとする、ダメアーティストの典型例だと思います。世界中に称賛する人がいるのでしょうから、ぼくひとりがクサし てもいいでしょう。前回も感じましたが、エロじじいの個人的な趣味を観る者に押しつけるような嫌な感じもあります。高校の美術部の作品のような、未熟なく せに天才面をする不快な作品です。前にもいいましたが、いい女優さんや俳優さんがかわいそう。
テーマは「オブセッション」。もうこのテーマは、彼にぴったりです。というか、このテーマしか、彼はちゃんとした作品にできないのではないか、という気もします。
「難解」という批評もあるかもしれませんが、ぼくには逆に、見え透いているのがたまらなく辛くなってきます。何ですかあの赤い蟹は。何ですかあの 盲目の人々は。何ですかあの安いお化け屋敷のようなセットは。何ですか最後の不慣れな子ども幽霊と船は。何でドイツ語の教授なんですか。セリフも映像も全 部がチープ。「本当は、ギャグですよね」と監督にきいてみたくなります。
そして困った挙句の、女優の裸や死体や骨や死。
もう目も当てられません。これを称賛する人はぜひぜひぼくにその素晴らしさを教えてほしいと思います。きっとぼくに何かが欠落しているんでしょうから。
始まり方はよかったのに。ずいぶん期待したのに。がっかりです…。