Berkeley
今日は寅さんです。
「夕焼け小焼け」(1976年)はまだ観ていなかったのと、外国で観るのは初めてだったので、行きました。全部で49作ある中の第17作目で、渥 美清をはじめ、さくらもおばちゃんもタコ社長もまだ若くパワフルで、まさにシリーズの「ピーク」という感じだと思います。ちょうど満男が小学校1年生に なったばかりという設定でした。
いつもよりお客さんが多く、アメリカでもファンが多いのかなと思いました。
始まってみれば、大いに笑い、大いに泣く。そこには日本もアメリカもありません。「人情」というのは、普遍的です。上映が終わり、薄明るい会場を後にしようとすると、多くの人が涙目をこすっていました。
英語の訳を同時に見ていたのですが、何ともそっけない訳で、これじゃ、下町の微細なセリフが台無しだと思いましたが、それでも観客には十分伝わっていたようです。映画のプロットや構造の基礎がもう普遍的に確立されているのでしょう。
山田洋次監督は、脚本も書いているということですが、毎回そのセリフの力に驚きます。そして主張はあくまで左翼、というか、名もない民草の立場に 立っています。「power of the powerless」。それが「男はつらいよ」シリーズの一貫した立場で、世界中が本当に共感するところなのでしょう。
狭いお茶の間で家族がやりとりするのをみて、ウサギ小屋の狭い家も悪くないな、と思いました。独りで生活しているせいか、あそこで食べる夕飯はどんなおかずでも美味しく感じるだろうな、とも思いました。
映画では、マドンナの芸者(太地喜和子)が苦労して貯めた200万円のお金を、悪いヤツに騙し取られ、それに怒った寅次郎がそいつを殴りに家を飛び出そうとするわけですが、金持と貧乏人の格差は当時もくっきりとあったのだなと感じました。
1976年は、私が10歳。ベトナム戦争が終わってベトナム社会主義共和国が生まれ、毛沢東が死去し、ロッキード事件が発覚して田中角栄が逮捕され、カーターが次期大統領を決めた年です。