Berkeley
「ユニタリアン・ユニバーサリズム(Unitarian Universalism:UU)」ってご存知ですか?
実はぼくはまったく知りませんでした。
アメリカに来てはじめて、その存在を知ることになりました。
キリスト教から派生したものですが、きわめてリベラルな宗派で、一定のきまった教義をもちません。信仰の多様性を重んじ、正統と異端をつくらない ためです。キリストすらも神格化することなく、世界の多くの宗教の存在を認め、すべての人間が真理や幸福を追い求める「探究者(seeker)」として尊 重されます。名前から、韓国の「統一教会」とまちがえやすいのですが、まったく違うので要注意です。
信徒は全米で約20万人と言われ、他の宗派と比較すればきわめて少数派なのですが、社会に貢献した多くの人物を輩出しています。第2代・第6代大 統領のジョン・アダムズ(John Adams)とジョン・クインシー・アダムズ(John Quincy Adams)、トマス・ジェファーソン(Thomas Jefferson)、アメリカ独立戦争で活躍したポール・リビア(PaulRevere)、19世紀前半を代表する政治家、ダニエル・ウェブスター (Daniel Webster)、公民権運動と女性参政権運動のスーザン・アンソニー(Susan B. Anthony)、あの電話のベル(Alexander Graham Bell)、進化論裁判で有名な弁護士クラレンス・ダロウ(Clarence Darrow)、ノーベル化学賞とノーベル平和賞ダブル受賞のライナス・ポーリング(Linus Pauling)、作家では、エマーソン(Ralph Waldo Emerson)、ディケンズ(Charls Dickens)、「ピーターラビット」で有名なビアトリクス・ポター(Beatrix Potter)、またぼくの大好きなレイ・ブラッドベリ(Ray Bradbury)やカート・ヴォネガット(Kurt Vonnegut)、詩人のE.E.カミングス(E.E.Cummings)、建築家ではフランク・ロイド・ライト(Frank Lloyd Wright)、歌手のピート・シーガー(Pete Seeger)、そして尊敬するシュヴァイツァー(Albert Schweitzer)やジェーン・アダムズ(Jane Addams)、アメリカ赤十字の母、クララ・バートン(Clara Barton)などなど、そうそうたる名前が連ねられています。
元の歴史はかなり古いのですが、現在の形(ユニタリアン主義と普遍主義の統合)は1961年に確立したようです。特に平和主義や社会正義を重んじ るのが特徴で、当時活発に展開していたベトナム反戦運動などの平和運動とも密接な関係があるようです。この辺については、今後よく調べてみようと思いま す。
今日私が訪れることができたのは、バークリーの近くにあるウォルナット・クリークという街の「Mount Diablo Unitarian Universalist Church」という教会です(写真左)。知り合いがちょうどこの教会の会員で、私が平和研究者ということを知って、親切にもご招待してくださいました。 言うまでもなく、教会はアメリカ人の精神生活には重要な意味をもっています。それゆえ、教会の会合で皆の前で紹介されるというのは、そのコミュニティの一 員として一定程度承認されるということなので、とても光栄なことなのです。私の紹介が終わると、会場の人たちがめいめいに「ウェルカム!」と声をかけてく ださいました。
さらに今日は、彼らにとっても特別の日で、ティーンエイジャーたちが皆の前で「大人」のメンバーとして認められるというセレモニー (“Coming of Age”)がありました。もちろん教会ですから、歌も音楽も献金もあるのですが、そもそも個々をつなぐ強固な「教義」がないわけで、集会の内容はまるで研 究報告会のような要素も見られました。
若者たちは、教会の先輩(相談役:Mentor)の助けを借りながら自分がこれまで考えてきたことについて、会衆の前で報告します。それを会衆 は、「よくやった」と拍手を送るわけです。ある若者は、「人間はみんな何らかのマスクをかぶって生きている…」、またある若者は、「責任とは何か」といっ たことについて一生懸命報告していました。
私が見るところ、教義はないとはいっても、何らかの魂や霊性(スピリチュアリティ)の存在を認めるということ、そして人間が真理を探究する上で相互扶助のコミュニティの存在がきわめて重要であることは最低限共有されているようでした。
写真の右は、会場の様子です。もちろん十字架やマリア像はありません。聖書もおいてありません。ただ、「多様性」を意味する七色のリボンが前方に飾ってあるだけです。
自立した個人がつくりだすコミュニティの形、すなわち私が思い描く「市民社会」の形を現実に見たような気がしました。
いずれにせよ、またふたたび、アメリカの懐の深さに感心する結果となりました。