Berkeley
今日の講義は、敗戦から1950年代初期までの日本の現代史でもっとも重要な時期をやりました。学生に議論の前提となる知識を与えるという意味でしょうか、当時を映しだしたビデオを流して鑑賞しました。
ビデオのタイトルは、「Pacific Century Series#5:Reinventing Japan」というものです。
マッカーサーが当時の日本人にどう受け止められたのか、戦後間もなくの日本人の「自由」や「民主主義」がどういう意味をもっていたのか、憲法はど のようにつくられたのか、いかに日本人は 'pragmatic' な人々であったのか、朝鮮戦争以後、「逆コース」は米国内からどのようにもたらされたのか、冷戦を背景にどのように日米の保守勢力は結託していったのか、 などなどがとてもよくわかるいい教材でした。宮沢元総理の英語を初めてきき、うわさ通り、やっぱりうまいなとも思いました。いずれも、当時の日本をアメリ カからみて初めてよくみえてくるものばかりです。
しかし、私にとって一番ショックだったのは、教室の若い学生たちが戦後まもなくの日米の実像をみて、それがどうしてもおかしく思えるのか、何度も失笑している姿でした。
その笑いは、何重の意味ももっていると感じます。
マッカーサーがおおげさなパイプをくゆらして日本に上陸するその大袈裟加減も、ジャズとダンスを教えられた日本人が一生懸命軍隊のようにそれを踏襲する姿も、また日本人の教化のためにハリウッド映画のキスシーンを執拗に上映する姿も、すべてが今の若者に「滑稽」に見える。
今の成熟した日米関係を知っている若者から見れば、アメリカの「民主化」政策も、それを真剣に受容する貧しい日本人も、まさに「滑稽」そのものに見えるという事実。私は、この当たり前と言えば当たり前の事実に、まさに衝撃を受けました。
いい悪いではなく、60年以上経って振り返った時に「滑稽」に思える歴史とはなんだろう、そうも思いました。
昭和天皇とマッカーサーがいっしょに写真を撮った有名なエピソードがありますが、ビデオでは撮りなおしたものも含めて3枚のすべての写真をみるこ とができました。目をつぶっているマッカーサー、口を半開きにしている昭和天皇。昭和天皇やマッカーサーだけでなく、実像で出てくる、東条も、吉田も、ケ ナンも、みんなインチキくさい面をしたペテン師のようです。こんなしょぼい人たちが、日本の現代史をつくった…。
そしてさらに、もう一つの発見は、日本人の身体についてです。
戦後とはいっても、国会で演説する政治家のみならず、学校で演奏会をする子どもたちも、当局からパージされる労働運動も、すべての日本人が依然と して戦前の軍隊教育の<身体>のままであったということ。これは今回改めて気がついたことです。しゃべり方、うったえ方、歌い方、身振りまで、何も変わっ ていない。
「永久革命」としてのデモクラシーは、依然として日本人の課題であるということ。それも改めて考えました。