Berkeley
今日の夜は、私が所属する研究所などが主催の「TOYO ITO」講演会でした。タイトルは、「生成する秩序」。
ぼくは建築には以前から興味がありますが、あまり勉強をしないできたので、実は彼の名前は初めてききました。しかもテーマが建築なので、お客さん はあまり来ないだろうと高をくくっていたところ、チケットが足りなくなる騒ぎでした。ぼくは研究所のご厚意で、またしても運良く席を獲得できましたが、あ ぶなく参加できなるなるところでした。
何でこんなに人が来たのかどうしても確かめようと、チケットを獲得するために列に並んでいる人にきいてみました。
「すごい人ですね。こんなに来るとは。」
「そうだね。」
「みんな建築学科の学生や卒業生なのでしょうか。ところで、あなたはどうして来られたんですか?ご職業と関係がありますか?」
「私は建築家です」
「そうですか!…でもここの人たちがみんな建築家というわけはありませんよね。理由は何か想像できますか?」
「そうだね。きっとここの大学の次の新しい美術館を設計するからじゃないのかな」
「なるほど!!…。」
というわけで、地元の人が殺到したわけです。
講堂がいっぱいになったので、ざっと500~600人ぐらいはいたと思います。
それにしても驚くのは、地域住民が、大学の建物に非常に関心があるという事実です。しかしよく考えてみれば、その理由はよくわかるような気もしま す。ここの大学の施設の利用者は、学生のみならず、多くの地域の人たちでもあるからです。大学が日本に比べてはるかに地域に開かれているので、「大学はわ れわれのもの」という意識が、地域の人々に根づいているように見えます。
伊藤さんは、実は世界的にも有名な建築家で、建築関係では知らない人はいないようです。彼は、「20世紀に登場した建築はあまりに固定的で均一的 な都市や人間をつくりあげてきたのではないか」、「これまでの建築は自然環境と人間とを結びつけるのに失敗してきたのではないのか」と指摘。それはとても 共感できました。彼のこれまでの「作品」は、「内部の空間が外に流れだすような」、風のように柔らかい印象を与えるものばかりでした。
講演でも、冒頭、大学の新しい美術館&フィルム博物館のコンセプトについて時間を割き、キャンパスと街、アカデミズムと市民、内と外、街と自然とを相互につなげるための様々な工夫を説明していました。「住民なっとく」というところだと思います。
結論として、彼の建築は、最終的に「自然の木から学ぶものだ」ということで、それを以下のように整理していました。
①木は、どんどんと成長する秩序を生み出す
②木は、単純なパターンを繰り返すことで複雑な秩序を生み出す
③木は、相互の関係を通じて秩序を生み出す
④木は、自然環境に開かれている
⑤木は、フラクタルなシステムである
人間や生命の自由と秩序や近代とを調和させるという彼の建築の考え方は、私が依拠する政治学の根本的な問題意識と非常に似ていると感じました。
写真の左は、講演の後の質疑応答の様子。真ん中が伊藤さんです。写真の右は講演中の様子ですが、画面に映っているのは新しい大学施設のイメージ図です。