Berkeley
今日の大島映画は、「飼育」(1961年)と「戦場のメリークリスマス」(1983年)でした。
どちらも、日本人と敵国の捕虜という設定で、日本社会の病がえぐりだされるという点が共通しています。
結論から言えば、ぼくの印象では、「戦場の…」よりも「飼育」のほうがいい作品だと思いました。「戦場の…」は、不自然な設定やシーンが多く、リ アリティを感じませんでしたし、坂本龍一や北野武などの豪華キャストもけっして上等な演技をしているとは思いませんでした。「メリー・クリスマス、ミス ターローレンス」なんて甘っちょろいセリフ、どうして「戦場」で言わせてしまうのか、あまり共感できませんでした。
ただ、ホモセクシャルがサブ・テーマになっていて、英国将校であるデビッド・ボウイが、刀を振りかざす日本軍人(坂本龍一)にキスをすると、刀をもったまま失神してしまうというシーンは印象に残る名シーンだと思いました。
「飼育」は、大江健三郎の「飼育」が原作で、村社会の狂気がデフォルメされて描かれています。三國連太郎をはじめ、俳優の演技はみんな力がある し、村の子どもたちの表情もきわめてリアルです。戦前も戦後も同じだ、村社会の論理はちっとも変わっていない、それこそが日本を戦争に導き、また戦後も日 本人の真の自立を妨げてきたのだ、という明確な主張が爽快です。
オーウェルの「像を撃つ」のように、捕虜の黒人が結局は集団的に殺され、「日本式」に棺桶に入れられるのですが、その後の村人たちのひとつひとつの「手」によって上から土がかけられてゆく長いシーンはお見事でした。
誰も責任をとらず、何かと言えば酒を飲んで、最後は手締めをして集団的にごまかし続けるという伝統文化への怒り。利益と因縁だけで結びついた人間 関係への嫌悪。「悪いようにはしないから…」、「みんながそれでよければ…」、「なかったことにしよう…」などの日本語が飛び交う空間をずっと見ていて、 まずはこの非論理的で無知蒙昧な田舎の文化を徹底的に破壊しなければならない、と思う人は少なくないでしょう。
この作品は、あくまで都市から見た、あるいは疎開者から見た、田舎の姿であり、その批判です。そういうバイアスがあります。しかし、その「田舎の 文化」は、戦前戦後とあらゆる組織や集団に貫徹され、人間がごく卑しくしか生きられない構造をつくりあげてきたというのも確かな事実です。
その意味で、自分は、圧倒的に都市派の近代主義者、啓蒙主義者であることを再認識することとなりました。新潟に帰るのはもうすぐです。