Berkeley
備忘録。
クラスなどで時々学生と接することがあるのですが、バークリーの学生は、教師や専門家にとても恭しく接します。
その「恭しさ」の理由は、けっして日本のような権威主義からではありません。
純粋に、専門家や専門知識を備えている人に心から敬意をもっていることから発しているように感じます。
彼らがそういう対象に使うことばは、「cool(かっこいい)」です。
そのことばには、自分もいつかは、修士号や博士号をとって、立派になりたいというあこがれや尊敬の気持ちが込められていることを強く感じます。これは日本の「学歴主義」とはちょっと違うように感じます。
「学歴主義」は、まずどこの学校を卒業したかなどということが重要になりますが、アメリカでは「学位」や「職位」のほうが重要視されます。努めて いる企業ではなく、建築家や技師など、どんな仕事をしているかの方が重要なのです。つまり、どれだけの専門的知識をおさめたのか、どれだけプロフェッショ ナルな仕事をしているのかが重要視されるわけです。
だから「プロフェッサー」は、それだけで「cool」です。そして研究中の大学院生も尊敬されます。たとえば、ここで大学院生は、クラスで「コー スリーダー」として、しばしば学生たちのレポートを採点したりする「準先生」の扱いになります。だから日本の大学院生のように、単純作業や下働きのような アルバイトはしません。だから逆にちょっと偉そうでもあります。
ともかくも、そうやって学問に対する敬意があるので、概して彼らは教師に対してとてもフレンドリーであると同時に、とても恭しく接してくれるのです。
権威主義に基づかない、フレンドリーで、かつ敬意にあふれた態度で私に接してくれる学生たちといると、本当に気分が晴々とします。
今日の夜は、大島渚監督の「日本の夜と霧」(1960年)を観ました。
テーマは、60年安保。
共産党のもとで学生運動に生きた人間たちの矛盾や苦悩を描いた作品です。もちろん当時の体制を批判した映画ですが、それよりも当の共産党を批判した映画でもあります。
全学連…。柴田翔の「されどわれらが日々」も思い出しました。
本当に最近改めて思うのですが、朝鮮戦争以後の「逆コース」の中で、あの60年に日米安保条約の改定を許したのが、戦後のすべての「敗北」の始まりだったのです。自民党下の保守政治の永続化を決めたのもこの時代でした。
それから今まで、無数の「敗北」と無力感が続くことになりました。
当時の共産党もやり方を間違えました。というより、共産党はそもそも、今でも残るその権威主義によって、何をやっても非民主的になってしまうという構造的欠陥をもっています。
しかしそれより、本当に「大衆」の心をつかんだのは、「所得倍増計画」であり、「豊な社会」に向けた開発国家の全面展開だったのです。もっといえば、アメリカの世界戦略が勝利したのです。岸信介の保守勢力も用意周到でした。
映画を観ていて、不謹慎なことなのですが、何だか滑稽さを感じてしまいました。政治に正面から対峙して生きるというのが、今見るといかにぎこちなく滑稽に見えてしまうものなのか…。
しかし、真面目に生きようとする若者たちにとって、当時はそのやり方しかなかったわけで、それで結局はいかに滑稽に見えても、どうしても笑うことのできない、なんともやりきれない気持ちになってしまいます。
私たちは、もうどっぷりと「ブルジョワ的」になっていて、それを疑うことすらしなくなっています。当時の理想に燃えた青年たちから見たら、今の私 たちはきっと頽廃の極致の世界に生きているわけです。しかしその一方、そんな時代でも、「これは何かおかしい」と感じる気持ちは誰の心にも確かに存在する というのもまた事実です。そしてもしかすると、今の青年たちがこの作品を観たら、深い共感を覚える可能性だってあります。日本に再び「政治の季節」が来な い、ということは誰にも断言できません。
この作品は、咬んでしまうような硬いことばで自分の生き方を対象化しつつ愚直に真面目に生きようとした戦後日本人の、一種の記録映画としても位置 づけることができるでしょう。おかしなことに、大島映画では、役者が台詞を咬むのをそのままにしています。しかしそれは変なリアリティを醸し出していて面 白いと思いました。当時はフィルムが高かったので、撮り直しがなかったのでしょうか…。
しかしいずれにせよ、時代の中で「人間らしく」生きることにこだわって、こだわって、こだわり続けた人々や精神があった。大島監督は、その失われ てしまった愚直な抵抗の姿に果てしなく共感しています。その意味でも、60年安保の問題は、もう終わったことなのではなく、未だ現在進行中の問題であると も思うわけです。