Berkeley
今日は、SFまで出かけ、話題の映画、『CHE』を観ました。
パート1と2をあわせて、合計4時間以上。
日本ではまだパート1(「28歳の革命」)しか上映されていないようですが、そこは海外の特権で、通しですべて観ることができました。
(ただし、予想に反して音声のほとんどがスペイン語だったので、英語の字幕を4時間も読んで疲れました。)
『蟹工船』が売れたり、『CHE』がヒットしたり、日本の大衆も、どこかラジカルな「変革」や「革命」を待望しているサインなのでしょうか…。
キューバ革命50周年を記念してつくられた映画だそうですが、去年訪れたキューバの空気の匂いを思い出していました。
さて、映画ですが、つくりは「端正」というのが第一印象です。役者さんは本人に似ていないと思いますが(本物はマスクもキャラも、もっと甘ああい 感じだと思いますが)、本当にていねいに、リアルにつくりこまれている感じでした。ついでに、フィデル・カストロも似てなかったなあ…。
けれども、最後まで通しで観ると、余計な美化やイデオロギー化がそぎ落とされていて、それが今までにない「チェ・ゲバラ」像をつくりあげていると 思いました。それがこの映画の良さです。「チェ」というのは、「ねえ君」という時の呼びかけのことばだそうですが、彼はよく「ねえ君!」と言っていたとい うことで、それがやっぱりぼくのゲバラ像なのです。
(まだ観ていない人ごめんなさい!)最後に処刑される時、まさに本人の視線から見た長いカットがあるのですが、そこにソダーバーグ監督のこの映画 に込めた最大の意図を感じました。革命やゲリラ戦といっても、実際は埃にまみれた、汗臭い、みじめで悲惨な日々だということです。しかもけっして報われる ことのない。
この映画で、ゲバラ自身、処刑を執行する「殺人者」でもあります。また、司令官としても、判断ミスをおかす。けっきょく、農民(の無知や弱さ)に も裏切られます。農民が彼に質問をするシーンがあって、「革命軍は、村で戦うのか」というのです。村人にとっては、革命など本当はどうでもよくて、とにか く村でドンパチしてほしくない。そういう群衆もきっちり描かれています。
しかし感動的なのは、彼が農民や文盲の人々、若者や少年たち、一般の弱い民衆に、その将来を信じて手を差し伸べる一貫した姿勢です。「革命」とい うのは、けっして結果ではない。「革命」の本質、生きるということの本質は、人々を愛し、そのために戦い続けるプロセスにこそある――。そういう強いメッ セージを感じました。
チェは、喘息もちだったようで、あの発作の演技は、音も含めて本当にリアルでした。ぼくも同じ持病をもっているので、見ているだけで気管支が狭 まって息苦しくなりました。発作を起こすだけで本当に動けず死にそうになるのに、そういう時にも森の中で戦い続けることがどんなに苦痛をともなうか。想像 すると、とてもとても、普通の人間には不可能です。
彼は自分の子どもへの手紙の中で、
「世界のどこかで誰かが不正な目に会っている時、痛みを感じることができるようになりなさい。それが革命家においてもっとも美しい資質です」
と書いているそうですが、そのメッセージが、彼の魂が今でも滅びない最大の理由だと思います。