Berkeley
しばらく忙しくて日記が書けませんでした。
おとといまで5日間、学会でシカゴに滞在していました。
シカゴは、寒かった…。
さらに、シカゴは「windy city」と呼ばれているように、強いビル風で寒さが倍増します。写真左は、雪降る日のシカゴ美術館の入り口です。
しかし例の如く、ブルース、ジャズ、シカゴ交響楽団、シカゴ美術館、フランク・ロイド・ライト、シカゴ大学、ポークチョップ、名物の巨大ピザなど など、「シカゴ」を十分に堪能してきました。もちろん、今回はあくまでも「学会」がメインなのですが…(でもこれもやっぱり言い訳にきこえますね)。
シカゴの冬は寒い、とは言っても、シカゴはニューヨークにもワシントンにも似ていません。もっと暗い。暗いという言葉が悪ければ、深い。あえて例 えるなら、「アメリカの中のウィーン?」とでもいったような印象です。冷たい高層ビルが立ち並ぶ中、人々が夜な夜なぬくもりを求めて暗い酒場にやってく る。孤独な労働者たちがつくる街。また一方、だからこそ、身体を温める肉料理と、何よりも音楽が発達し成熟する。押し殺した暗闇のなかから「文化」が立ち 上がる街。それがぼくの勝手な第一印象でした。シカゴ美術館ではちょうど、「ムンク展」をやっていましたが、まさにムンクの作品がぴったりするような空気 が街中に充満していたと思います。
写真の中央は、ぼくが泊った大学構内のホテル(Quadrangle Club)の部屋の中から見たシカゴ大学です。この写真には、少々煤けた感じのする大学の暗い印象がよく表れています。このホテルは、1893年からある ようですが、シカゴ大学は、シカゴの大火で街中が焼けた後建てられたためか、校章にはフェニックス(不死鳥)が採用されています。
シカゴはオバマ大統領の住んでいた街です。それで、彼が通ったというスポーツ・ジムなども見てきました。彼の肖像写真は街中で見ることができま す。大学の近くには、「Checkerboad Lounge」という有名なブルースのお店があるのですが、そのカウンターの上にもオバマ大統領の写真が飾ってありました(写真右)。
ところで、ここでは少し怖い貴重な体験をしました。はじめての生ブルースもさることながら、ぼくのちょうど隣に座っていた若い女性歌手が突然何者 かに刺されて血を流し、警察が駆けつけてくるということがあったからです。ぼくが舞台から目を移し、ふと右後ろを振り返ってみると、ぼくの椅子の下が血だ らけになっていました。つい一瞬前までぼくの隣で、他の歌手の歌に合わせて踊っていた彼女の姿はもうなく、従業員に運び出された後でした。ぼくは彼女が飛 びぬけて歌がうまかったことで時々気になって見ていましたが、誰か他の男性が彼女の肩をだいて二人で舞台から背を向けたことを見届けて、なるべくそちらを 見ないようにしていました。そしてそのすぐ後に「ソレ」が起こったのです。
さらに怖かったのは、その従業員の対応があまりに慣れていたことです。モップで血を拭き取る作業がなんと慣れた手つきで行われていることか。司会も何事もなかったかのように、演奏を続けさせました。
ぼくが近くにいたその司会者に「いったい何があったの?」ときいても、「いや、大したことはないよ」と冷静に答えるばかりです。「あんたの椅子の 背にかけたコートにも血がついていないから大丈夫だよ」とも言われました。ぼくは、「いや、それより、彼女は……というより、あんた冷静すぎるよ」と小さ い声でつぶやくだけでした。
きけば、よくあることのようです。さすがマフィアやアルカポネの街です。シカゴ警察が、全米一の屈強な警察であるといわれている理由もうなずけま す。その店では、黄色人種はぼくを含めた2人だけ。白人も2人ぐらい。あとは皆、見たところアフリカ系の人々で占められていて、アメリカ西海岸では味わっ たことのない、初めての雰囲気でした。ジャズやブルースの店に行ったからでしょうか。アメリカにおける「アフリカ文化」のかっちりした形というか、存在感 や重量感を感じ取ることができました。
シカゴ最後の夜は、やっぱりシカゴ交響楽団。特に最後のベートーベン(英雄)は、まさにこの街を象徴するかのような重量感があり、満腹できました。クラシック音楽を聴いて、自然と涙がこぼれたのも初めての体験でした。
シカゴは夏は暑いそうです。またいつか、違う季節の違う顔をもったシカゴを見たい気もします。
ただ、帰ってきてもう2日目ですが、まだ疲れがとれません。
しばらく自分の身体を元に戻すことに専念しようと思います…。