Berkeley
昨日、娘と久しぶりにスカイプしました。
彼女は、限られた時間を惜しむように、自分ができるすべてのことを父親にアピールします。
学校のテスト、ピアノの練習曲、白目の変な顔、学校でと友だちと合唱の練習をして頑張っていること、そしてバレエ。
バレエは想像以上にお金がかかるので、親としては何度も辞めさせようと思ったのですが、本人は本当に好きなようで、仕方なく続けています。発表会 が近づいているのですが、彼女だけは今年は不参加。だって、本当に理不尽なほどお金がかかるからです。彼女は、友達と練習はするのですが、友達といっしょ に発表会は出られません。だから、普段の発表会の練習でも、いつも端の方に追いやられてやっているようです。しかし、それでも踊るのが好きで好きで、毎回 楽しそうに出かけて行きます。
昨日は、その発表会の曲(花のワルツ)をYou Tubeで探してかけながら、カメラの前で踊ってくれました。
舞台の陰から登場するところからはじまって、お辞儀をするまで、まるで大観衆の前で踊っているようでした。
花のワルツを聴きながら、健康に育った娘が自分のために踊ってくれるのを眺めていて、本当に幸せな気分になりました。もう一生分の親孝行をしてもらった!と思うくらいです。
You Tubeで曲が終わり、万雷の拍手が鳴る中、私も瞳をうるうるさせながらカメラの前で精一杯拍手していたのですが、このバカ親と娘の姿を「ああまたやってる」と少々呆れ顔の妻が通りかかって見るという、これまたいつものパターンとなりました。
庭のウッドデッキにある朝顔のツルが少しずつのびているようでした。日本は夏の盛りを迎えつつあるようです。そしてもう、帰国は目の前となりました。
今日が大島映画シリーズの最終日です。
「無理心中日本の夏」(1967年)と「御法度」(1999年)でした。
前者は、その後に起こった連合赤軍の一連の事件を予言したような作品で、ちょっと危ない若者を演じた若き田村正和の熱演を観ることができます。ただ、映画として学芸会の域を出ず、評論に値しません。大島映画のこの類の「前衛?」作品は、本当にお粗末だと思います。
「御法度」は、幕末京都の新撰組を舞台とした「衆道」(男色)がテーマの作品です。坂本龍一の音楽と、殺陣がリアルなのがいい点でした。松田優作の息子の松田龍平も、妖しい「狂気」をちゃんと演じきっていました(ちょっと声が子どもっぽすぎたのが残念でしたが)。
「御法度」は、現在のところ、病気で倒れた大島監督の最後の作品であるようですが、しかしそれにしては、彼の特徴であった「社会性」が失われてお り、残念です。彼はテレビのパーソナリティとして冗談のように怒る以外、いつからアーティストとして真に怒らなくなってしまったのかと思います。また、い つも感じるのですが、ビートたけしの演技はいただけません(ただ、新撰組の副隊長というキャスティングは合っています)。
理想を追求するプラトンの共和国のような男集団が、やがては内向し、暴力化してゆく悲劇を描くのが、今の時代にどんな意味があるのか、そしてそれは何の批判なのか、ぼくにはわかりません。そしてすべてを性の問題に還元する発想も、リアリティを感じません。
ストーリーが、複雑な謎解きを要求するという意味で面白い作品でしたが、テーマが持つ広がりがどうしても見いだせなかったというのが、正直な感想です。