Berkeley
今日の午後は、ぼくが所属する研究所の主催で、原一男監督のドキュメンタリー映画、「極私的エロス 恋歌1974」(1974年)を観に行きました。監督ご本人も、奥さま(小林佐智子さん)といっしょに会場を訪れ、作品上映後の質疑応答にも答えていらっしゃいました。
「極私的…」は、はじめて観る作品だったので、楽しみにしていましたが、予想通りの力作でした。若き原監督と三年間同棲し、身ごもった武田美由紀さんが突如家を出て沖縄に行く。それを追いかけるために、武田さんを被写体にした映画の撮影が始まる。
70年代(および全共闘世代)の若者に、当時どういう「思い」があふれていたのか、第一級の歴史的資料でもあると思いました。
しかし、ぼくは観ている間中、何と不謹慎にも笑ってばかりでした。武田さんは、当時のフェミニズムの思想を自分の人生の中でそのまま実現しようと する。だからこそ、住み慣れた家を捨てる。当時もっとも虐げられていた沖縄に行く。またさらに虐げられていた米軍相手の水商売の女性たちと共に生きようと する。ストリップをしながら子どもを育てる。
それがなんて真っすぐで可愛いらしいのか、そして彼女を取り巻く人間たちも、なんて真っすぐなピュアな人たちばかりなのか。けんかして、罵倒し て、怒って、泣いて、思いつめて…。出てくる人たちが今では信じられないくらい愚直で人間らしい。そしてその真面目さがしばしば度を越してしまって、観る 者の笑いすら喚起する。
これはもはや、深刻なドキュメンタリーというより、むしろ「ヒューマン・コメディ」の域に達していると感じたくらいです。そして、こんなにも自分 自身や身内をさらけ出した映像を冷静にフィルムにしてしまう監督ってどんなに性格の悪い人だろうと思ったりしましたが、実際に話をきいてみると、ご本人自 身がまさにその愚直さを絵にかいたような人で、何と言うか、二重の感動を覚えました。
「ゆきゆきて神軍」の奥崎謙三さんもそうですが、どこかやり方が間違っていたり、トンチンカンだったりする。けれども、自分なりの正義感に正直にまっすぐ生きている。たとえ結果がうまくいかなくても、そういう人の方にぼくは共感を覚えます。
映画には、武田さんのみならず奥さまの赤裸々な出産シーンもでてきます。監督曰く、「当時は三里塚や水俣など社会正義についての映画は先輩たちが すでにつくっていた。けれども、彼らだって男や女の問題を抱えていたりして、そういう建前だけではおかしいと思っていた。国家権力や体制の問題はまさに私 生活の領域にも浸透していて、それと闘うことが次の課題だと思っていた」ということです。
アメリカの聴衆は遠慮がありません。会場から、「今自分の若いころの姿をみてどう思いますか?」と質問が出て、一言、「恥ずかしいです…。自分がまだ若かったなと思います…。」
「武田さんは今どうなっているのですか?」という質問には、「彼女はその後メキシコなどに行って希望を探したようですが、その後の運動全体の衰退 の中でやがて運動からも離れ、今は病気がちです」とのこと。全共闘世代の悲哀というか、日本戦後史の悲哀というか、何だかとても寂しい気持ちになりまし た。
彼女は、映画の中でも行きずりの黒人との間に子どもをつくるのですが、その子を東京で産みます。その出産シーンを原監督に撮らせる。それは「自分 の出産を自分に取り戻すため」だったそうですが、その混血の子(名前は「遊」ちゃん。いい名前です。)は18歳まで育ててその後アメリカに養子に出したと いいます。
この作品は、今流行の私的ドキュメンタリーの「はしり」でした。しかし原監督は、「最近の若い人たちの私的ドキュメンタリーは自分を救ってほし い、という自己救済のためにつくられている。でも、私は自分を撮ることで、もっと自分が強くなろう、その先の<何か>をつかもうとしていた。それが違って いる」と。
「やっぱり、いい人だ。この人…。」