令和5年 年頭のご挨拶
昔から不思議に思っていることがあります。「元旦と冬至はなぜずれているのか」という謎です。
ある領域では人類は愚かではないので、自分の住んでいる地べたの暑さ寒さの周期はどうも365日程度だと認識するのにそう時間はかかっていません。多くの社会はかなり古い段階で365日を1年とする暦をつくっています。365日となってない暦も結局はいろいろな方法で日付を調整し、うるう年も含めて1年という期間を維持しています。
そこで問題となるのは1年の初日をいつにするかということです。暦をつくる最大の目的は農作業の日程づくりや、大河の氾濫防止などだったはずで、その目的さえみたせば、どの日を1年の開始とするかに明確な理由はないはずです。グレゴリオ歴が現在の1月1日を1年の開始日とした理由についても、ある政治的事件の都合からそうなったという説明が一般的です。つまり偶然です。またイスラーム暦など他の暦をみると元旦はかなりばらばらです。元旦が年によってどんどん変わる暦もけっこうあります。
その点では元旦を固定しているグレゴリオ暦のほうが少数派に見えてくるほどです。でもその固定した日付に大きな理由がないなら、いっそのこと日照時間のいちばん短い冬至を元旦にしたほうが美しい暦になるような気がして、ずっと不思議に思ってきました。
現在の冬至は12月21日か22日というように年によって若干のずれがあるので、ある日を元旦としても正確にはその前後の日が日照時間が最短になるという可能性もあります。不都合な気もしますが、そもそも夏至や春分、秋分は適当にずれます。だったらなるべく冬至に近い日を新年の初日にしたほうがすっきりするような気がしますが、いかがでしょうか。
正月がくるたびにこの謎について考えます。コロナ禍以降、時間の感覚が少しおかしくなっているせいか、特に今年はコロナの収束を願いつつも、また答えを見つけようと苦労しています。
新潟国際情報大学 学長 越智 敏夫