令和7年 年頭のご挨拶「昭和百年を迎え」
昭和が終わった1989年1月7日、当時、大学院生だった僕は池袋の木造賃貸アパートで昼まで寝ていました。講師をしていた予備校の集中講義が前日に終わり、同僚たちと朝まで飲んでいたからでした。
その酔いが続くなか、友人からの電話で起こされ、昭和の終焉を知りました。これから皇居に行くぞというその友人の電話を5秒で切った僕はまた寝ようとしながらいくつかのことを考えました。
今日で昭和も終わる。でも今日も明日も1989年のうちの同じ24時間。1週間前に新年になって今日はまだ松の内。いろんな時間の区切り方があるなあと思いながら布団でごろごろしていました。
こうして平成が始まり、続いて手塚治虫先生、美空ひばりと昭和をつくった偉人たちも世を去ります。6月に始まった宇野宗佑内閣は本人の女性問題や参院選の敗北もあり7月に退陣を表明。自民党一党支配の終わりも予感させたのでした。また海外では11月にベルリンの壁が崩壊、クリスマスにはルーマニアのチャウシェスク大統領夫妻が特別法廷での死刑判決後、5分で銃殺されます。
こうしてみると1989年は「激動」という単語がふさわしかったのかもしれません。しかし昨年2024年も日本では能登半島地震で始まり、世界では複数の戦争が継続中です。おそらくはどの年も激動で埋められてきたのでしょうし、これからも埋められていくのでしょう。
時間、あるいは時間の区切り方は本当に不思議です。そんな時間のことを小林秀雄は「過去から未来に向かって飴のように延びた」ものだと書きました。そこまでべたべたするのも気持ち悪いですし、嫌なことはとっとと忘れて新しい年をおだやかに過ごしましょう。昭和百年、今年もよろしくお願いします。
新潟国際情報大学 学長 越智 敏夫