From Niigata to the world新潟から世界へ
第4回セミナー「暴力」と「コミュニティ」の諸相
第4回 平和・コミュニティ研究機構セミナー 2004.12.20. 佐々木寛(新潟国際情報大学)
1. 平和研究の視点 ―― 社会科学をひらく
1-1. 近代的プロジェクトとしての社会科学
西欧中心主義・国家中心主義・主客の分離
1-2. 再帰的社会科学としての平和研究
cf. 方法としての「エクスポージャー」
1-3. Intellectual Community としての平和研究
cf. 平和問題談話会
2. 「暴力」の諸相
2-1. 20世紀の時代経験 ―― 「全体主義」と「ジェノサイド(genocide)」
「コミュニティ」の徹底的な殲滅・破壊
2-2. 「暴力」を問題にする意味 ―― 平和研究の三つの「暴力」概念
直接的暴力・構造的暴力・文化的暴力
2-3. グローバル化と「暴力」―― 「ジェノサイド」研究の有効性
cf.「ジハード対マックワールド」、「帝国」論、「リスク社会」論、「新戦争」論
3. 「コミュニティ」形成の諸相(政治学の視点から)
3-1. 「コミュニティ」の分類と争点
- 「社会」概念との比較:「価値」と「認識」
cf. レジーム論 と 「epistemic community」 - 規模とレベル:家庭(親密圏)・Local(自治体含む)・Nation・(Sub)Region・世界
- 多層的「コミュニティ」と安全保障/平和問題
- 伝統的コミュニティ と 市民的コミュニティ
3-2. 越境的な市民的コミュニティ(コスモポリタニズム)の位相
3-3. 平和学における「サブシステンス(subsistence)」概念と「コミュニティ」
4. 「平和構築」の多様な試み(「コミュニティ」概念に即して):平和的変更
4-1. 直接的暴力 ←― 新しい安全保障論・多国間主義・予防外交・非核地帯構想…
(紛争転換)(新しい地域主義)
4-2. 構造的暴力 ←―オルタナティヴな開発・トービン税・フェアトレード…
4-3. 文化的暴力 ←―平和ジャーナリズム・非暴力トレーニング・平和教育・憲法…
※ 環境・生命・ジェンダー・コミュニティ
※ 対人地雷全廃運動と「グローバル・デモクラシー」の可能性
セミナー録
小川有美:
今日は、新潟国際情報大学の佐々木寛先生においでいただきました。今日は『「暴力」と「コミュニティ」の諸相―平和研究の視点―』というタイトルでご報告いただきます。
社会科学といっても、誰でも飛び付くことをやっている人もたくさんいますし、わたしみたいに誰も重要だと思わないことをやっている人もいます。しかし、誰もが重要だと思っているが、なかなか論じられないテーマがあると思います。今日はまさにそういうテーマだと思いますので、この平和・コミュニティの座標軸を見直すのにふさわしい会だと思って期待しています。
今日は若い人が多く、人数はさほど多くありませんので、車座のような感じでディスカッションもたっぷりしたいと思っています。よろしくお願いします。それでは佐々木先生、よろしくお願いします。
佐々木:
こんにちは。今日は初めてお会いする方もいらっしゃるし、よく知っている方もいらっしゃいますね。今、小川先生のほうからもったいないご紹介をいただいたんですが、今日は思い切って大きなテーマでお話ししたいと思っています。私の報告では、パワーポイントもありませんし、皆さんにお渡できる資料も少ないのですが、お手元の2枚のレジュメに沿ってお話ししたいと思います。
レジュメの2枚目が主な参考文献ということになっています。それぞれ1枚目のレジュメの項目1~4までの内容に応じて、それぞれ主な参考文献を紹介してあります。今日は助手の先生方もいらっしゃいますが、主に学部の皆さんと大学院生の方々にきいていただくということなので、なるべく日本語で読めるものをピックアップして、それでもなおまだ翻訳で読めないものは英語の文献を紹介してあります。
わたしは今回、「平和・コミュニティ研究機構」という新しい試みをうかがって、大変触発されました。わたし自身は主に「平和研究」という分野の周辺をやってきたのですが、「平和」ということばに「コミュニティ」ということばがぶつかることで、新しい視点が生まれるのではないかという気がしています。先日のシンポジウムでも、コミュニティ研究と平和研究の接合の可能性が話題になっていましたが、その「旧くて新しい」アプローチの可能性に、わたし自身とても期待しています。
そういう意味で、今回こういう形で話す機会を与えていただき、わたしもこれまで自分が考えてきたことを「コミュニティ」をキーワードに整理する、いいきっかけになりました。まだ生煮えですが、今日は若い皆さんのするどいご意見に期待して、それを今後の糧にしようと思っています。
こういう新しい研究機構ができて、今日も社会学の先生方やさまざまな分野の先生方がいらっしゃいますが、そういう分野が違う人たちと対話をすることは、とても有意義だと思います。普段自分がやっていることから少しはみ出して何かをする、自分の殻を少し破ってみるということが、こういう研究機構や共同研究の一つの意味ではないかと思います。
ところで、今小川先生もおっしゃったように、「平和」ということばは誰でも重要だと思っているにもかかわらず、なかなか正面から論じるのがむずかしいテーマです。また、「コミュニティ」ということばも分野をこえて広く使われる多様な意味をもつことばです。
今日は、この重要な2つのことばを結び付ける方法を、一種のセマンティックス(意味論)といいますか、多少理論的にお話ししたいと思っています。第1回目のセミナーで、高原先生がコミュニティの研究の理論的な整理を既にお話されているようなので、蛇足になってしまいますが、このふたつのことばの接合は、平和研究や政治学の枠組みではどう考えることができるのか、今日は短い時間ですが皆さんと考えてみたいと思っています。
まず注意事項です。タイトルに「平和研究の視点」という副題がありますが、これは、何か平和研究という確固たる分野があって、それが何か体系的な理論をもっているというわけではありません。平和研究、あるいは平和学、広島大学では平和科学といったり、いろいろな呼び方がありますが、「平和研究」はそれぞれの地域や大学で、それぞれの先生が、それぞれのやり方で研究・教育しているのが現状だと思います。参考文献の中に朝日新聞社の『平和学がわかる。』という本が紹介されていますが、これをご覧になると、各大学でいろいろな先生が、いろいろな形で教えているということ、またいろいろなテーマで研究をすすめていることがわかると思うので、関心のある方は後でご覧になってみてください。
平和研究の視点
レジュメの1からお話します。「社会科学を開く」という少々大きなタイトルを付けました。
まず、わたしの理解では、そもそも平和学や平和研究が生まれてきた背景の一つには、原子爆弾の開発に取り組んだ 「マンハッタン・プロジェクト」や核戦略理論の構築などに見られるように、ある種の専門家や職業的な科学者が軍拡に携わっていったことへの反省があります。
たとえばハーマン・カーン(Herman Kahn)という人をご存知ですか?彼は『熱核戦争論』や『考えられないことを考える』などの本で、冷戦期を通じて核戦略理論をつくりあげていった人です。核エネルギーの軍事利用に際して、そういうプロフェッショナルな科学者たちが大きな役割を果たしました。
それに対して、「ちょっと待った!」と反対する専門家たちもでてきました。「確かに彼らはすぐれた科学者かもしれないが、そういう狭い領域の中で合理性を追求していくだけでいいのだろうか」という問題意識が、 一部の数学者や自然科学者、社会学者の中から出ました。そういう人たちの中から平和研究が生まれたというのがわたしの理解です。ですから、初期の平和研究は、当時のアメリカの学問状況にも影響されて、数学や統計学、ゲーム理論などを駆使したかなり実証主義的なものでした。
わたしも、大学院に入って本格的に平和研究について勉強してみようと思って、 図書館でラパポート(Anatol Rapoport)やボールディング(Kenneth E. Boulding)など、そういう第1世代の人たちの本を探してみたのですが、 数式でいっぱいの本を見てビックリした記憶があります。
なぜこんな話をしているかというと、 一部の先鋭化した科学や科学者が暴力に大きく加担してしまった20世紀の経験が平和研究の出発点にあったということを申し上げたいのです。この事実はわたし自身の平和研究をはじめるきっかけでもありました。軍事的な専門家がたとえば、「この方法では2,000万人死ぬが、他の方法では500万人しか死なないから、こっちのほうが合理的だ」とか、そういう種類の話を、われわれの知らないところでしているという現実です。
わたしもよく授業で紹介するのですが、スタンリー・キューブリック(Stanley Kubrick)監督の『博士の異常な愛情(Dr. Strangelove)』という映画がありますね。最近『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン』という英字紙で見てわかったのですが、キューブリックはあの映画を作るときに、 ハーマン・カーンなどの当時の戦略理論を相当研究して作ったらしいということです。そうすると、あの映画はフィクションだとしても、現実に限りなく近いということが言えます。
ご覧になった方はどれくらいいますか。ちょっと手を挙げてもらえますか。
想像していただきたいのは、ある種のいびつな世界というか、核兵器を一つの道具として操作する、 その前提の中でラショナルチョイス(rational choice:合理的選択)をどんどん追求していくという精神のあり方が、 わたしにとってはものすごくショックだったんです。普通の人間の感覚からはかけ離れていますね。「合理的な愚か者」ということばがありますが、狭い世界で合理的に何かを追求していくことが、ある種のとてつもない暴力となって現れることがあるかもしれないということです。そういうことをわたしも10代の頃から考えていました。
平和研究は、良心的な科学者たちによる、既存の科学のあり方への異議申し立て、反省から出発しました。
「社会科学を開く」ということばは、これは参考文献にも挙げましたが、 ウォーラーステイン(Immanuel Wallerstein)という人が書いた本(『社会科学を開く』)から取りました。「開く」というのはいろいろな意味が考えられますが、まさに狭い専門化への異議申し立てという意味がこめられていると思います。
この本を読まれた方がいらっしゃるかもしれませんが、大学院生は皆さん読んでほしいと思う本の一つです。
比較政治学をやったり、社会学をやったり、政治社会学をやったり、経済学をやったり、 今は大学院に入ると、まずいろいろな分野にどんどん専門分化して勉強しなければならないわけですが、この本を読むと、自分が今何をやっているのかということ、その意味を、学問史の中で相対的に自覚することができます。
この本にも書かれているように、粗っぽくいえば、「政治学」や「経済学」や「社会学」は、19世紀に社会科学が専門分化していった結果誕生しました。それで個々の学問分野で対象とする担当分野が決まるわけです。
学問の分業化です。たとえば政治学は国家について、経済学は市場について、社会学は市民社会について研究するという具合です。今でも誤解されますが、「政治学」はいわば「国家学」でした。それから社会科学の専門分化と職業化はどんどん進みました。ただ20世紀に入ると、ウォーラーステインによれば、「学際化」の動きがとくにアメリカなどで盛んになります。
そして皆さんがよく知っている、「国際関係論」とか「政治経済学」とか「政治社会学」とか、そういうさまざまな領域横断的な分野が生まれてきます。
ご存知のように、「地域研究」というのもやはり20世紀のアメリカで生まれました。これは、ある地域について、文化も政治も社会も経済も、全部研究するわけです。こういうふうに、「学際化」といいますか、専門分化を乗り越えようとする動きが20世紀にあったわけですが、 ウォーラーステインの指摘で重要なことは、それでも今もなお、この近代的プロジェクトとしての社会科学は課題を抱えつづけているということです。
これはよく言われることですが、一つは西洋中心主義です。そしてもう一つが国家中心主義です。
ウォーラーステインは、この二つがまだ克服されていないと考えているようです。そしてこれらに関連してわたしはもう一つ、レジュメには「主客の分離」と書きましたが、 これはつまり、分析する自分と、分析される他者との分離の問題です。
分析する人間は、本当は社会の中に深く巻き込まれているにもかかわらず、往々にして分析対象である社会からは超然としていて、 価値中立的であると錯覚してしまいます。
社会科学は、ある分析枠組みを対象である地域や社会に当てはめますが、 それ自体は「社会の科学」にとって必要不可欠なことであるものの、その枠組みが人々の常識となって大きな力をもつようになると、 時にはその地域や社会にとって暴力的な影響をもたらしてしまうという問題があります。かつての「近代化論」や「開発理論」がもたらした弊害については皆さんもよくご存知だと思います。
これは、先ほどわたしが皆さんにご紹介した『博士の異常な愛情』の世界でもそうですね。政策決定者たちの作戦室の世界と、われわれの生活世界との乖離です。他に何に例えていいのかわかりませんが、 小学校のころに宿題でよく昆虫採集をやりましたね。昆虫の世界や自然の世界を捉えるときに、 あれは虫に毒を注射して殺したあと、綿を詰めて型崩れしないようにして、最後にピンでとめて陳列ケースに並べるわけです。自分の個室に、虫をどんどんピンでとめて溜めていく、そういうイメージが浮かびます。
虫たちは、何も陳列ケースに並べられるために生まれてきたわけではないのですが、 この種の昆虫採集が昂ずると、まるでこの世の蝶やカブトムシはすべて自分の自室に並べられるために 生きているのではないかと錯覚する人がでてきてもおかしくありません。ぼくは子供の時に、このような方法では、どうしても生きた昆虫たちの世界が理解できないような気がして仕方がありませんでした。
いろいろ散らかった話をしてしまいましたが、このようなことを申し上げた上で、 ちょっと挑発的ですが、1―2に「再帰的社会科学」ということばを書きました。平和研究というのは、その誕生時から「平和」というやっかいな価値の問題にとりくまなければなりません。「平和」とは一つの価値です。この価値をめぐる学問なので、どうしてもそれを現実世界の中で何度も反省しなければなりません。自分が「平和」について研究したり発言したりすることは、何らかの形で現実社会に働きかけることになるわけで、 それによってまた現実社会から何らかのリアクションを受けることになります。
それが「再帰」の意味です。当たり前のことですが、社会科学ではその一連のプロセスを自覚するということが大切だと思います。
最近平和学の教科書などでは「エクスポージャー(exposure)」という言葉がよく使われますが、それは、自分の狭い世界に閉じこもるのではなくて、ふだんとは全く異なる現実に身をさらすという意味です。これは「平和教育」の問題とも関連するのですが、世界は自分の頭の中にあるものよりもずっと広いという当たり前のことです。そういう「再帰的社会科学」としての平和研究という問題意識が、平和研究にはその誕生のはじめからずっとあるのではないかと思います。時代状況の函数としての平和研究。一つの客観科学であるということと同時に、 自覚的な学問運動でもあるという側面が平和研究にはあるのではないかということが、最初に申し上げたかったことです。
次に、レジュメの1-3に、「インテレクチャル・コミュニティ」ということばを書きました。
知的な共同体、政治的なイデオロギーをこえて、「平和」という独立した価値を探求するための知的なゆるやかな協力関係としての平和研究です。そして、この「平和・コミュニティ研究機構」というのも、わたしはこういった「インテレクチャル・コミュニティ」形成のための一つの試みだと思っています。
日本の平和研究とか平和学の起源ということを考えた場合に、例えば1950年に出された「三たび平和について」という声明があります。皆さん、ご存じでしょうか。経緯をご説明すると、まず戦後まもなく、当時のユネスコが世界に呼びかけ、いろいろな科学者が集まって、その時の時代状況も想像していただきたいのですが、1948年に「平和のために社会科学者はかく訴える」という声明が出されました。ユネスコは当時から世界中の平和研究の拡大や制度化をいろいろと支援していました。
そのときに、日本では吉野源三郎という『世界』という雑誌の編集長が中心になって、 丸山眞男をはじめとする当時の日本国内の知識人を集めて、平和問題について考えようという会を開きました。それが、平和問題談話会という会でした。
そして、1950年に『三たび平和について』という有名な声明を出すんですが、 その内容は、『平和研究』という日本平和学会の学会誌の第2号に掲載されています。
旧い話のようですが、この文章を読むと、今でもみずみずしくいろいろなことを考えさせられるのでご紹介します。当時、この『三たび平和について』を作るために奔走した1人に丸山眞男さんという人がいました。その人はもう亡くなってしまいましたが、講演のテープ起こしがあるんです。これは、『丸山眞男手帖』というものの中に入っています。そこに、「1950年前後の平和問題」ということで、この平和問題談話会がどうしてできたのかとか、 そういう平和問題をめぐる時代状況を彼が語っている文章があります。
これを読んでいつもハっとするのは、当時は平和問題というと、基本的には社会組織がそのままだと「平和」ではないから、 これを革命によって変えなければいけないという、革命イデオロギー、 社会組織の根源的な改革がなければ「平和」は実現しないという信念が、非常に大きな世論というか、 多くの人たちによって共有されていたということです。
また一方で、「平和」ということばは、 ナチズムや当時のスターリン主義をはじめとする「全体主義」への対抗イデオロギーとして使われることもありました。また東西冷戦の中で、アメリカとソ連がデタント(雪解け)を迎えることだけに「平和」の意味を限定しようとする場合もありました。そのようなイデオロギーとイデオロギーのはざまに立って丸山さんが一生懸命言っているのは、 イデオロギーに還元されない「平和」という独自の次元があるはずだということです。右とか左とかは関係なく、政治的主張とは関係なく、「平和」という問題はみんなにとって大事であるから、 この問題を独立した主題として取り上げるべきだということで、この平和問題談話会を日本中を巡って組織化していったという話が書いてあります。
「専門バカ」ということばがありますね。当時の雰囲気はわたしも想像するしかないのですが、 当時、戦時中を生きぬいた多くのインテリたちの中で、科学者が「専門バカ」ではダメなのではないかと、 とても反省をしていた人たちは少なくなかったのではないかと思います。自分は研究者としてまじめに研究していて、良心もあったにもかかわらず、結局戦争を防ぎえなかった、 結局自分は戦争を端で見ていて止められなかった、という後悔が少なからず共有されていた。
だから、もう自分は研究をしていればいい、「わたしの専門は○○です」と言えば責任が問われないということはありえないという雰囲気が 当時はあったのではないかと思います。それを、丸山さんは、有名な「悔恨共同体」ということばでよびました。そういう意味では、当時は平和問題について、右も左も越えてインテレクチャルなコミュニティができた背景があったと思います。
わたしがいつも共感するのは、丸山さんがここで、一方で「専門バカ」、他方では客観的な思考性を捨てて、 全部運動の中に解消してしまうようなディレッタントとの両者を避け、その間の細い道をどうやって行ったらいいのかと問いかけている点です。平和研究の問題意識もまさにそこにあります。
そういう意味で「平和研究の視点」と最初に書きましたが、 平和問題を独立した主題として取り上げようとすることの魅力や特徴と、その難しさという両方の側面を皆さんにお話ししたかったわけです。
現代暴力の特徴
次にレジュメの2に行きます。平和研究では、その対象を戦争だけではなくて、「暴力」というより広い問題に設定します。
では、なぜ「暴力」という問題の立て方をするかというと、それにも歴史的な背景があります。2-1に書いてありますように、簡単にいって、まず20世紀に起こった時代経験、無数の時代経験がありますが、 その中でも特に「全体主義」および「ジェノサイド(genocide)」という問題について考えなければなりません。
「ジェノサイド」については研究書もいろいろあるのですが、あえてこの言葉を拡大解釈して、 皆殺し、人間を「数」として殺戮していく、固有名詞ではなく、つまり○○さんや○○さんが憎いから殺すのではなくて、 ○○人全部をまとめて「数」として殺すという殺し方として定義しましょう。効率的な大量殺りくです。戦争は人類史とともに古くからあるのですが、人の殺し方、暴力は質的に転換しています。科学テクノロジーの展開ともあいまって、暴力の組織性や重層性、構造性はかつてと比較にならないほど高まっていて、 それゆえ、「平和」を考える上で、戦争だけを問題にすることはできなくなっているのです。
そういう意味で考えるならば、強制収容所はもちろんのこと、戦略爆撃のようなものも広く「ジェノサイド」の一形態であると考えたほうが有効だといえます。後で申し上げるように、今日でも、例えば皆さんの分かりやすい例で、 旧ユーゴ、アフガン、それからイラク戦争などでみられた戦略爆撃、それからアルグレイブの強制収容所の実態などを見れば、「ジェノサイド」ということばがまさに当てはまるといえるのではないでしょうか。
その意味では、レジュメには「20世紀の時代経験」と書きましたが、われわれは21世紀も同じような経験をしているといえます。こういった新しい暴力の問題、「ジェノサイド」の問題をどうとらえていけばいいのか、 そして平和研究はこれをどう考えていくのかというときにキーワードになるのが、次のテーマである「コミュニティ」だと思っています。
参考文献にハンナ・アレント(Hannah Arendt)の『暴力について』というテキストが挙がっています。
アレントさんはほかにもいろいろ書いているのですが、彼女の一貫したテーマは、「全体主義」というものは一体何であるか、ということだと思います。彼女によれば、全体主義化のプロセスで最初に何が起こるかというと、それは、まず個人がばらばらになるということです。既存のコミュニティが崩壊して、人々が原子化していきます。そして、今まであった信頼や連帯の絆が壊れていくということです。つまり人間は限りなく孤独になっていきます。そして、その間隙をぬうように恐怖の論理で政治が再構成されます。政治を支配する論理が、次第に、何か自分たちの外側に脅威があるということに基づいてつくりあげられ、それが体制の運動原理になっていくということです。わたしは、最近日本で起こっていることもいわば一種の「草の根ファシズム」ではないかと感じています。
つまり、伝統的コミュニティというものを徹底的にせん滅して破壊していくことが「ジェノサイド」の一つの特徴だと思います。ですから、強制収容所に連れて行かれる前にゲットーにユダヤ人は押し込められて、「おまえはこっちで住め」、「今度はこっちで住め」と、 自分たちが生活している空間を根こそぎ権力によって決定されるわけです。でも、そのはじめの措置に抵抗しないと、それを受容してしまうと、 今度はその同じ人たちが強制収容所に連れて行かれるのは時間の問題だという恐ろしさがあります。
コミュニティには、この後申し上げるように、いろいろなレベルと規模があるわけですが、この様々なコミュニティに暴力は作用します。この後述べるように、伝統的なコミュニティを破壊するという意味では、いわゆる「グローバル化」とよばれる現象も、 一面では一種の現代的暴力として考えることもできるかもしれません。その場合の暴力は、現代では非常に脱領域的といいますか、 単に敵国が国境の向こうから攻めてくるという単純な問題だけではなく、さまざまなレベルの暴力が相互作用して発生するので、 その相互関係を細かく見ていかなければなりません。とすれば、平和研究では単に戦争という問題だけではなくて、 暴力という、これもまたあいまいな概念ですが、そういうもっと広い概念を問題にしなければならないのです。
よく講義をしていると、「先生、それでは平和の定義はどういうふうになるのですか」という質問が多く出ます。これは当然な問いです。平和研究をできるだけ客観的な学問にするためには、平和の定義をしなければいけません。今のところ、「平和」の定義は、「暴力の極小化した状態」と大まかに定義するしかありません。この世界から暴力が完全に消滅することは望めないかもしれませんから、その「極小化」を目指すのです。また逆にいえば、今度は「暴力」の定義が重要になってきますね。平和研究では、「暴力」というものがどういうふうに定義されるのかによって、「平和」の意味内容が決まってきます。
平和研究の3つの暴力概念
これも有名なので皆さんもご存知だと思いますが、レジュメには平和研究の3つの暴力概念をご紹介してあります。つまり、「直接的暴力」と「構造的暴力」と「文化的暴力」という、3つの概念があります。「直接的暴力」というのは、一番わかりやすいと思いますが、 目に見える暴力、戦争も地域紛争もそうかもしれないし、あるいはたとえば夫が妻を殴るのも直接的暴力です。
次の、「構造的暴力」とは何でしょうか。これは1960年代後半に出てきて平和研究の世界をとても広げたのですが、 これは、基本的には貧富の格差とか抑圧とか社会正義という問題を包摂した概念です。たとえば、ある地域に生まれたが故に寿命が全うできないとか、 安全な水にアクセスできないためにすぐ病気になってしまうとか、学校に行けないとか、そういうことも暴力ではないか、 というふうに平和研究は考えるわけです。そうすると、平和研究が取り組まなければいけない問題が膨大になってしまうので、 かつて論争が起こりましたが、今では、多くの教科書やテキストでも、「構造的暴力」は重要な概念として扱われています。
したがって、この概念を洗練したヨハン・ガルトゥング(Johan Galtung)という人のことばですが、1人の夫が妻を殴ったら、 それは「直接的暴力」だけれども、100万人の夫が妻を無学の状況にしておくとすれば、それは「構造的暴力」だと言っています。これは、わかりやすい表現だと思います。
3つ目の「文化的暴力」という概念は、まだそれほど使われていませんが、非常に重要な概念です。
これを1990年代に提唱したガルトゥングさんによれば、これは、ある特定の文化が暴力的だというのではなくて、 暴力を正当化する文化あるいは言説も暴力として考えるべきである、 暴力というものを、これはいい、あるいはしょうがないと正当化(legitimization)することもやはり暴力なんだということです。
これでまたさらに平和学の射程は広がってしまうわけですが、わたしは今、特にこの「文化的暴力」という概念がとても重要だと思っています。それはなぜかというと、最近は「ソフトパワー」とかいろいろな議論が出ていますが、国際政治においても国内政治においても、 権力というものが持つ意味合いが、単に軍事力や経済力といった実力だけではなくて、人々の意識を支配する力、 自己の行為を正当だと思い込ませる力も大きな役割を果たすようになってきていると思うからです。
皆さんの年齢だと1991年の湾岸戦争を覚えていらっしゃいますか。1年生は覚えていないですか。アフガン戦争は覚えていますよね。「9・11」の後はもちろん大学生ですよね。そうすると、あの時もいろいろなメディアの問題がとりあげられました。特にテレビがそうですが、米軍の攻撃を正当化するようなものが意識的に流されたりしたのはご存じだと思います。事例は無数にあるのですが、例えば、皆さんが覚えているアフガニスタンの事例でいえば、 タリバンたちがバーミヤンの仏像を破壊する映像をご覧になったことがあるのではないでしょうか。あれを見ると、タリバンたちが「文明」の敵であると強く思います。しかし、米軍がウサマ・ビンラディンを探して実際にアフガンの山という山を空から攻撃した映像はあまり出てこなかったですよね。当時、MOAB(Missive Ordnance Air Blast)というものすごい破壊力をもつ爆弾が使われたということです。
あの時に、世界的な文化財や山間部に住む人々の生活空間はどうなっていたのでしょう。「文明」の敵は一体どちらだったか。あの紛争においても、 一部のメディアはアメリカ軍の戦略爆撃を正当化するために大きな役割を果たしました。このように、メディアが持つ問題や情報がもつ問題も広く暴力の問題として考えていこうというのが、3つ目の暴力概念です。
暴力の諸相:グローバル化の中で 最近はよく「グローバル化」といわれますが、「グローバル化」がもつポジティブな側面だけでなく、 他方で、その暴力的な側面にも目を向ける必要があると思います。「グローバル化」というのは、非常に単純化して申し上げれば、ある種の既存のコミュニティを相対化したり破壊したりするプロセスをもともなっています。それはもちろん、主権国家だったり、村落共同体のようなものだったりするかもしれません。
そういうコミュニティを壊していく、そしてまた他方で、「個人化(individualization)」といいますが、 個人を世界の中で析出させていくということが「グローバル化」の一つの重要な側面です。そういう中で、先ほど申し上げた広い意味での「ジェノサイド」の原理が現在でも働きやすい条件がつくられていると思います。
参考文献のところを見ていただくと、「暴力の諸相」というところで、社会学者のベック(Ulrich Beck)が挙げられています。ベックは「リスク・ソサエティー」という概念、これは皆さんご存知だと思いますが、 「リスク」という問題を中心に社会を考えていくべきだということをずいぶん前から提唱しています。「リスク」となると、単に今までの、たとえば国際政治における伝統的な安全保障概念のように、国境をはさんだ敵と味方とか、 軍事的な脅威と安全という問題だけではなくて、非常に重層的かつ多様な危険の問題を社会の中に位置付けて考えなければならなくなります。彼もやはり、「グローバル化」の問題とつなげてこの問題を考えています。
また、そこに平和学者のメアリー・カルドー(Mary Kaldor)を挙げました。彼女の『新戦争論』という本を紹介してあります。カルドーの議論で一番興味深いのは、彼女の新しい戦争経済についての指摘です。つまり、わたしたちの日常生活や経済活動そのものがもう戦争経済の中に組み込まれてしまっていて、 それが現代の戦争を支えているという、いわば「グローバル化」の問題と戦争とをつなげた議論がされています。
また、最近ではさまざまな方々が「帝国」ということばを使いますが、 あえてわたしは、参考文献にはガルトゥングの『構造的暴力と平和』という比較的旧い本を挙げました。帝国主義、あるいは帝国、あるいは帝国システムといろいろな言い方があるのですが、 わたしはガルトゥングの帝国システムという考え方が一番エレガントなのではないかと思っています。さまざまな帝国論がありますが、ガルトゥングの、中心と周辺で重層的に世界を分析していく見方は、今でもまったく古びていないと思います。そういう意味での帝国という問題の立て方は、依然としてレレバントといいますか、 今でもグローバル化した世界がもつ暴力を分析する時に有効であると思います。
それから、「ジハード対マックワールド」というききなれないフレーズを書きましたが、 参考文献でいうと、ベンジャミン・バーバー(Benjamin Barber)という人の『予防戦争という論理』という本を挙げておきます。バーバーによれば、グローバル化の中で、一方では「マックワールド」(マッキントッシュやマクドナルド、MTVなど)、 商業経済、消費経済の世界が世界を著しく一元化していっている一方で、 地域紛争や排他的なアイデンティティーが顕在化して隣人がお互いに殺し合う状況が起こる。これが彼のいう「ジハード」の世界です。同じ映画を見、同じヒットチャートを聴いている若者同士が、同じ武器で殺し合うのが、 地域紛争の現実というわけです。この現実をどういうふうにとらえたらいいのか。彼の指摘で重要なのは、「対テロ戦争」と呼ばれ、世界が「ジハード」と「マックワールド」とに分断されているように見える現代の紛争は、実は相互に矛盾していない、「テロ」や「大量破壊兵器」を口実に「先制攻撃権」などという新しい論理をでっち上げたアメリカ政府がやっていることは、 民主主義や市民社会の破壊という意味では、実は「テロリスト」たちがやっていることと質的にまったく同じなんだということです。
いくつかの議論を駆け足でご紹介しましたが、このようにさらに複雑になったグローバル化と暴力との相互関係、 これが今、平和研究にとっても重要な課題になっています。来年、平和学会は敗戦60年目の記念的な企画を立教大学で開催します。
たまたまわたしも企画にたずさわってきたのですが、 みんなで話し合って次回は「ジェノサイド」研究の部会を設定しました。去年は「帝国」をテーマにやりましたが、来年は、「ジェノサイド」、 すなわち世界各地で起こっている暴力の生々しい姿をもう1回見つめ直すことから考えようということです。そういう問題の立て方が今、非常に重要になっているのではないかと思います。
「コミュニティ」とは?
そういうことを前提に、今日は、もう一つのテーマである「コミュニティ」というものをどう考えたらいいのかということをわたしなりに簡単に整理してみました。ただ、社会学や文化人類学など他の領域まで十分手が回らず、まったく不十分な状態ですが、 取りあえず政治学の観点から「コミュニティ」をどう考えたらいいのかということを整理してみます。
これは高原先生がすでに第1回目のセミナーで大まかに整理されていたので、それを踏まえつつお話ししようと思います。
まず、「コミュニティ」という概念と、「社会(society)」という概念をどう区別するかという問題があると思います。たとえばイギリスの国際政治学者、ヘドレイ・ブル(Hedley Bull)の『アナーキカル・ソサイエティ』のように、 「アナーキーな国際社会も一種の社会である」という言い方もできるわけです。
そのときには、世界には「コミュニティ」があるという言い方はしないので、 まず「コミュニティ」と「社会」とはどう同じでどう違うのかを整理しなければなりません。これは難しい問題です。この問題は後で宮島先生にもゆっくり教えていただきたいのですが、わたしが思うのは、 一つには、価値や認識の問題で共有する部分があるのかないのかというのが重要な分岐点になると思います。
国際政治の分野では、例えばレジーム論というのが1970年代ぐらいからずっと議論されていますが、 この中でも、たとえば「コンストラクティヴィスト」といわれている人たちは、 国際問題を共有していくときのエピステミックなコミュニティ(認識共同体)を非常に重視して国際社会を分析していきます。こういった「認識共同体」のようなものも「コミュニティ(共同体)」と呼ばれるわけです。したがって、こういう価値や規範や認識が共有されているかどうかという問題が「コミュニティ」を定義する上では非常に重要なのではないかというのを、 一つの争点として挙げさせていただきます。
2つ目は、これは高原先生もお話しになっていましたが、規模とレベルでコミュニティを分類することができます。「親密圏」といいますか、一番小規模で身近な家庭や友人関係もコミュニティの一つですし、エスニック・コミュニティもそうですし、 ローカルな、自治体などのコミュニティもありえます。またもちろん、ネーションもコミュニティのひとつです。ただネーションは重層的であることに注意する必要があります。つまり、ネーションはいわば重層的なコミュニティです。リージョナリズムやサブ・リージョナリズムなど、通常これら多様なコミュニティを内側にかかえています。また最近では、たとえば「地球村」という名前のNGOがありますが、世界そのものがコミュニティだと考える、「グローバル・コミュニティ」という考え方も生まれてきます。
そうすると、この世界には何らかの価値や認識を共有するコミュニティが、このように多層的・多次元的に同時に並存すると考えることができます。また、この規模とコミュニティとの関係を考える上で、「安全」や「リスク」の問題は避けて通ることができません。どんな「リスク」や「脅威」からどんな価値や規範を守るのかということは、「コミュニティ」が成立するための基本的な構成原理です。レジュメには「多層的コミュニティと安全保障、および平和問題」と書きましたが、 つまり、現実のコミュニティが多層的であると想定した場合には、 これまでの伝統的な「安全保障」という、国際政治学が前提としていた国家中心の問題の立て方は徐々に揺らいできます。つまり、「国家安全保障(national security)」という考え方そのものが、現実からさまざまな挑戦を受けるようになります。
また一方で、これまで平和研究が取り組んできたような「平和」という価値と、 国際政治学における「安全保障」という価値が必ずしも矛盾せずに同時に議論できる余地も出てくるようになります。すると、これもグローバル化と密接に関係があると思いますが、 「コミュニティ」を媒介に、「平和」と「安全保障」の両者がさまざまなレベルで対立したり重なったりする部分を細かく見ていく必要がでてきます。現在、どんなレベルのどんなコミュニティがどんな安全を前提に成立すべく存在するのか、という原理的な問題が浮上しているわけです。
そこで今日皆さんに特にご紹介したいものとして、例えば「コミュニティ形成の諸相」という項目の、 参考文献の上から4つ目に、オル・ウェーヴァー(Ole Waever)という人物の本が紹介してあります。これは、わたし自身が最近とても興味深いと思っているのですが、いわゆるコペンハーゲン学派といわれるコンストラクティヴィストの安全保障の議論です。
このウェーヴァーという人の概念で一番面白いのは、「安全保障化(securitization)」という概念です。安全保障の問題が出てくるときには、必ずその安全を守るべき対象である「脅威」が想定されていなければなりません。しかしそれは、あらかじめ明確に存在するのではなくて、どんな安全保障政策においても、実は日々構成されてつくられているということです。適切な例かどうか分かりませんが、たとえば、東アジアでは「北朝鮮脅威論」とか、あるいは「中国脅威論」とか、 そういうものは、本当に「脅威」があるから「論」が生まれるのか、実は「論」が「脅威」を生み出しているのか、わからないところがあります。したがってこの概念は、この種の複雑な相互主観的な問題を安全保障の研究の中に組み入れて考えないと、 アクチュアルな分析ができないという問題意識が背景にあると思います。それゆえ、安全保障というものも、新たなコミュニティを日々形成するための「言説のレベル」をも組み入れた分析がますます必要になっていると思います。これに関連して、「コミュニティ形成の諸相」のところの第1番目に挙げたカール・ドイッチュ(Karl Deutsch)さんの議論も重要です。安全保障のコミュニティが、ミクロなコミュニケーションの蓄積の中から生み出されるという考え方は、 一体どんな敵、どんな脅威から何の価値を、どの規模で、どのように守るのかということが非常に錯綜するようになった時代に、 ふたたび見直されるべき内容を含んでいます。
このほかにも、「コミュニティ」を考えるためのいくつか重要な座標軸があります。たとえば、いわゆる村落共同体のような<伝統的コミュニティ>と、市民的アソシエーションといいますか、<新たにつくられたコミュニティ>とを必要に応じて区分けする必要があるでしょう。「コミュニティ」ということばは、どちらの意味においても使われ、まぎらわしいので、研究上は明確に分けておく必要があると思います。もちろん、多くの歴史研究が指摘するように、「伝統はつくられる」ので、実際は簡単な作業ではないかもしれません。また、グローバル化という状況の中で「コミュニティ」を考えるためには、これまで申し上げてきたような、国際政治学が前提とするような国家・国際的コミュニティ、および政治学が対象としてきた「市民社会」のコミュニティのほかに、もう一つ、重要な次元があると思います。つまり、「市民社会」からもはじき出される難民とか、「市民」にすらなれない人々、「棄民」とか「難民」とかいわれるような人たち、そういう<弱者たちが相互に支え合う社会としてのコミュニティ>といいますか、そういうものを組み入れて考えなければならないと思います。したがって、「コミュニティ」は、大きく三層構造で捉えていかないと、せっかくのこの概念の有効性が出てこないのではないかと思います。さらに、同様の意味において、行政や権力によって半ば強制的につくられる「上からのコミュニティ」と、 内発的、自発的につくられる「下からのコミュニティ」とを腑分けすることも必要な場合があるかもしれません。
わたしが現在もっとも関心をもっているのは、 レジュメの3-2に「越境的な市民的コミュニティ」と書きましたが、いわゆる国際的なNGOや、 国境を超えて市民的な価値を実現していこうとするコミュニティです。これについては、「コミュニティ形成の諸相」の参考文献の下から2番目に、 わたしの「世界政治と市民」という拙論を挙げました。コスモポリタニズム(世界市民主義)を現代でどういうふうに考えればいいのか、 「グローバルな市民社会」というコミュニティの次元がありえるのかという、壮大なテーマです。
そして、3-3ですが、ここで一番強調して申し上げたいのは、平和研究において一番重要なコミュニティ概念は、 「サブシステンス(subsistense)」という概念だということです。これは、わたしは、イヴァン・イリイチ(Ivan Illich)という社会学者から学びました。いわば、民衆が自分たちらしく生きていけるための文化的・物資的基盤という意味です。
イリイチによれば、行き過ぎた開発や戦争によって最も破壊されるのが、いつもこの「サブシステンス」であるということで
この「サブシステンス」概念が、ジェノサイド状況やグローバル化の影の側面が顕在化する中で、 平和研究において最も重要な価値をもつようになっていると思います。参考文献の一番上の「平和学の視点」のところに、もう今は亡くなってしまいましたが、 高柳先男さんという人が書いた『戦争を知るための平和学入門』という本を挙げておきました。
この本の特徴は、終始一貫して、サブシステンス、すなわち「民衆のための平和」がリアリステックに模索されているという点です。戦略爆撃やさまざまな戦争、あるいは構造的暴力によって破壊されるコミュニティの問題が、今平和研究の大きなテーマになっているということです。
「コミュニティ」概念に即した「平和構築」
最後に、レジュメの4番目のお話をさせていただきたいのですが、 「平和構築」という問題を、「コミュニティ」概念に即して考えてみたいと思います。先ほど申し上げたように、「こんなにひどい暴力と不平等に満ちた世界は破壊しなければならない」と思う人たちはいつの時代にも存在しています。そうすると、革命概念といいますか、たとえ暴力を用いてでもまずは不正な世界を壊すことが正しいという思想が称賛されることもありえます。しかし平和研究の立場では、不平等や社会的不正義などの構造的暴力をなくすために、 直接的暴力を行使することは暴力の悪循環を引き起こすと考えられています。そういう意味で、「平和的変更(peaceful change)」と書きましたが、つまり暴力の連鎖を起こさないで、また世界戦争なしに、 どうやって世界秩序を平和的手段で変容させることができるのかという難問を、平和研究は引き受けることになるわけです。
「平和構築(peace building)」という言葉は、国際機関や専門家の間では、通常「ポスト・コンフリクト」、 つまり紛争が起こった後に再び同様の紛争が起きないようにする一連の措置を意味しますが、あえてここではもっと広い意味で、 平和を普段の平和な状態から準備する、そういう長期的、かつ予防的な措置も含んだ意味で使おうと思います。さて、4-1、4-2、4-3では、直接的暴力、構造的暴力、文化的暴力のそれぞれについて、 それを克服するために現在進行中のさまざまな試みが紹介してあります。平和研究の重要な視点は、 これら三つの暴力の連鎖や相互作用に着目し、そのネガティヴな相互作用を平和裏に変えていく方法を見出そうとする点にあります。まず4-1の直接的暴力、たとえば戦争や紛争の問題にどう取り組んだらいいのかという問題で、 最近では「アームズ・トランスフォーメーション(arms transformation)」、 あるいはさらに積極的に「トランセンド(紛争転換)」といった試みを挙げることができます。
時間がないので個々について十分説明できずすいません。参考文献で「平和構築の試み」という項目の最初に挙げましたが、 前者の試みについては、ガルトゥングさんの『平和への新思考』という本をご紹介します。これは、冷戦期のヨーロッパで、差し当たりすぐには軍縮が不可能な状況で、 非攻撃的な兵器による非攻撃的な防衛力をどうやってつくり出せばいいのかという、 非常にリアリスティックな平和研究による問題提起がなされましたが、そのエッセンスが整理されています。こういう議論は今、東アジアでも形をかえてだんだんと応用可能になっていると思います。 安全保障や軍事的な問題を単に軍人や政治家に任せないで、市民の側でもこういう問題をよく考えていこうということです。後者については最近日本語の本も読めるようになりましたが、 従来の「紛争解決(conflict resolution)」という紛争当事者の妥協点を探る方法を越えて、 紛争を「超越する」方法についての実践的な試みです。この試みでもガルトゥングさんは理論上指導的な役割を果たしています。またこの他に、たとえばレジュメには、「非暴力トレーニング」や、さまざまな形の「予防外交」の試み、 あるいは「非核地帯構想」や「無防備地域運動」など、新しい平和コミュニティを形成するためのキーワードが書かれています。
次に、構造的暴力でいえば、「オルタナティブな開発」や、トービン税、フェアトレードなどの試みを挙げることができます。これらはどれも皆さん聞いたことがあると思います。参考文献で言えば、ジョン・フリードマン(John Friedmann)の『市民・政府・NGO』という本です。これは、「エンパワーメント」概念を積極的に開発理論に応用したとても重要な本です。
彼によれば、新しい開発というのは住民の参加、デモクラシーに基づかなければなりません。これは、単に財を上から再分配するという意味での開発ではなくて、内発的に自分たちの社会やコミュニティに自分たちが政治参加を果たし、 責任をもつことによって、地域に見合った多様な形の開発をすすめていこうという考え方です。このフリードマンさんは、学者であるだけではなくて、彼自身がずっと長い間開発の現場で苦労を重ね、こういう考え方を練り上げたという意味で、 非常に価値があると思います。
最後は文化的暴力です。レジュメにはまず「平和ジャーナリズム」と書きましたが、特に大切なのは平和教育です。
平和教育の刷新と飛躍が、今後の広い意味における平和構築の要になると思います。単に「昔戦争でこういうひどいことがあったから、平和は大事だね」ということを繰り返し伝えるというのが平和教育ではなくて、 先ほどの「エンパワーメント」の話と同様、具体的にどうやって社会の中で体を動かして平和を実現していったらいいのかということを考え、 学ぶ場として、平和教育を位置づけ直す必要があります。
さて、こういう三つの暴力の連鎖を克服していくためには、 「日常からの平和構築」を促進していかなければなりません。
その意味で、これはホームページの紹介で文献ではないのですが、 参考文献の下から3つ目に「Women in Black」という女性による平和運動の例を挙げました。
彼女たちが取り組んでいる活動では、これまで申し上げてきたような、 重層的な暴力構造を下から一つ一つ克服していくという方法をとります。まず、家父長制。男が一番身近なコミュニティである家庭で威張ってしまう、そしてひどい場合にはドメスティック・バイオレンスや児童虐待に加担してしまう。彼女たちは経験上、そういう問題を第一級の平和問題として考えています。そして、「非暴力トレーニング」を真剣に研究し、実践します。普段から体を使ってドメスティックな暴力を克服していく方法を具体的に学び合います。
わたしが知っている、旧ユーゴスラビアのセルビアの女性たちは、体でわかっているわけです。つまり、戦争が長引いて男たちが威張り出すと、自分たちに重層的な暴力が加わるということを、経験的に知っているわけです。彼女たちは、まず夫に殴られる。夫に従わなければいけないという暴力を受けるわけです。家父長主義の伝統的なコミュニティの中で暴力を受けて、そして実際の紛争においては、 他の民族の軍人たちから陵辱される。そしてさらに、文化的暴力が加えられます。つまり彼女たちは、そういう被害を受けたということを、その同じ民族の男たちによって政治的に利用されてしまいます。つまり、自分たちの民族が汚されたという、戦闘のための象徴として祭り上げられてしまうために、結果的には三重の暴力を受けるわけです。「日常からの平和構築」は、彼女たちの経験に基づくリアリズムに他なりません。わたしも彼女たちに出会って非常に多くを学びました。
最後は、国境を越えた平和コミュニティ形成の可能性についてです。もっとも注目すべき事例は、やはり1990年代の対人地雷の全廃運動だと思いますが、これは時間がないので省略いたします。ただ、対人地雷というのはそれが埋められている地域の民衆にとっては「緩慢なジェノサイド」に他なりません。地雷は、「サブシステンス」を根源から破壊していく兵器です。対人地雷の被害者たちの声なき声を拾い上げ、国際社会のレジームの中にどのように反映させることができたのか、 またなぜ97年の対人地雷全面禁止条約という国際条約の結実にまでこぎつけることができたのかという問題は、 依然として調べてみる価値があると思います。レジュメにはわたしの拙論と、足立さんという人が最近書かれた『オタワプロセス』という本を挙げました。足立さんのものはとても大切な仕事だと思います。国際社会で、どういうふうに対人地雷禁止のレジームが形成されたのかという問題を詳細に分析しています。今後、先に申し上げたような「市民社会」からもはじき出されてしまった人たちの問題を考えた場合に、 そういう問題を国際世論という形で争点化し、国際社会に反映させるための条件を探ることは、 この新しい「平和・コミュニティ研究機構」の大きな課題のひとつになると思っています。時間になりました。以上、少々長くなりましたが、報告を終わります。ご清聴ありがとうございました。
小川
ありがとうございました。最初に「暴力とコミュニティ」の「と」のところが大事だというお話しでしたが、 暴力についてもコミュニティについても随分教えられた気がします。
それから、平和問題談話会のような冷戦さなかの時代から、 ポスト9・11のジハード対マックワールド、新戦争の時代まで、 ある意味で、課題あるいは取り組みは古びていないという印象をすごく受けて、 僕にとっては、平和研究のイメージが少し変わったかなと思って、とても有意義でした。