From Niigata to the world新潟から世界へ
北東アジアの平和に向けて
新潟国際情報大学 佐々木寛助教授 講演 2004.8.18
はじめに
こんにちは。今日は豪雨で、イージス艦が新潟に来られなくなったのは良かったのですが、ついでに自分も遅れてしまって申し訳ありませんでした。
今日与えられたタイトルは非常に大きいですから、どれくらいまでお話しできるかわからないんですけれども、 とりあえずお渡ししたレジュメに沿ってお話したいと思います。
今日の会場にも何人かおなじみの顔がいらっしゃいますけれども、私は先日、朝鮮民主主義人民共和国を訪問する機会がありました。
それは私にとって初めてのの経験でしたし、いろいろな意味で衝撃というかショックを受けました。
政治を研究する者としては、簡単に申し上げると、基本的な概念、「権力」とか「国家」とか、 そういう政治学にとって基本的な概念を講義で定義して話すんですけれども、その定義そのものが揺らぐという程のとても大きな衝撃を受けました。
共和国に行くために経由したウラジオストックの空港で、そこにいらっしゃる朝鮮総連の金さんが、「くれぐれも比較をしないでください」
とおっしゃったのが印象的でした。
私は、研究者というのは比較をするためにいるのであって、 比較をしないというのはどういうことだろうと思ったんですけれども、行ってみて金さんのおっしゃりたいことがよくわかりました。
それは、自分の基準で、あるいは自分が当たり前だと思っている基準で「他者」を切らないということだと思います。
つまり、これは、自分にとって常識で当たり前だと思う視点によって、異文化あるいは他者というものを切るということをしてはならない、 というお話だったと、後で思いました。
共和国へ行って考えたこと=「相互理解」
共和国へ訪れて考えたことは無数にあるのですが、あえて一つだけ皆さんにお話したいことがあります。
それは今日の話に関係することで言えば、「相互理解」という当たり前の言葉なんですけれども、そのことについて非常によく考えました。
「相互理解」というのはお互いに理解をすることですけれども、これは一体どういうことなのかということです。
いろいろ例が挙げられると思いますけれども、例えばこの共和国について、新潟県内では主に二つの議論があると思うんです。
例えば、今年の4月に新聞報道されましたが、和田春樹さんというロシア・朝鮮の専門家、歴史家と、 いわゆる「救う会」の佐藤さんのお2人が、共和国とどう付き合っていくかことで議論したことがありました。
そのとき、和田さんは例のごとく「共和国とは話し合sいを続けていかなければいけない」ということをおっしゃっていたわけですけれども、 佐藤さんは「あの国というのは話し合いの対象にならない」ということを言っておられました。
話し合うということができない。「相手を合理的な人間として考えるのではダメだ」ということです。
だから「力」。つまり経済制裁や、時には軍事的な力も入るかもしれませんが、そういうもので言うことを聞かせるしかないんだということです。
私は、この問題について昔からよく知っているわけではありませんが、 この佐藤さんという方がかつて共和国に裏切られた経験があるということをうかがったことがあります。
つまり、自分が信じていたものに裏切られるということは、「かわいさあまって憎さ百倍」という言葉がありますけれども、 そういう心理ではないかと思うわけです。
これはどういうことかというと、嫌いなら嫌い、信用できなければ100%信用できない、「坊主憎ければ袈裟まで憎い」。
それから、相手を一枚岩で見る。自分が理解できないものは全て同じである。
全て同じ論理と同じものででき上がっている。そういうふうに、他者を一枚岩で見るということが、 私は相互理解という言葉の逆にあると思うんです。言葉遊びみたいで申し訳ないんですけれども、 私はとても大事なことだと思って申し上げたわけです。
つまり、「相互理解」とは何だろうと考えたときに、自分が理解できるものを理解しただけでは、本当の「相互理解」にはならない。
自分が理解できないことも理解しようとする、それが、私は「相互理解」ということの厳しさではないかと思っています。
ですから、都合の悪いものは全部なくしてしまおう。自分が見たくないものは見ないことにしよう。蓋をしてしまおう。
あるいは、都合の悪いものは全部この地上からなくしてしまおうという情熱が、この「相互理解」を妨げるメンタリティだと私は思うわけです。
実際、経済制裁をしたり、あるいは米軍の力を借りて攻撃するのか知りませんけれども、あの権威主義体制、あるいは抑圧体制、 とにかくあんな気持ち悪いものは地上からなくしてしまおう。
そういう情熱というものが、そういう議論から感じ取れるわけです。
平和を乱す一番の要因は 理解できないものの存在を認めないこと
ここには総連の金さん、安さんがいらっしゃいますけれども、私は実際に行ってみて、 もちろん共和国について疑問に思ったり不快に思ったりすることが多々ありました。
しかし、同時に、相手が何でこんなことになっているんだろうということを考えるときに、 その経緯というか歴史というものを理解することがとても大事であることがわかりました。
つまり、今の瞬間だけを見ると、「あいつは何てわけのわからない奴なんだろう」と自分の判断で見るわけですけれども、 しかしその変な相手も、こちらが変だと思うまでに至る経緯があるわけです。
その経緯をしっかりと見ていくということが、「相互理解」の重要な出発点であると思います。
今、マイケル・ムーア監督の『華氏911』という映画をやっていますけれども、私はあの映画は非常に面白いと思いますし、 マイケル・ムーアという監督に共感する点が多くあります。この作品では今起こっている様々な問題はブッシュが悪い。
それで、ブッシュという人間はどれだけクレイジーかということを描くわけです。
そしてそれを観るわれわれも、 だんだんとブッシュが本当におかしいんじゃないかと思うわけです。
確かに言うまでもなく、ブッシュの数々の決断は歴史に残る愚行だったと思います。
しかし、そういうブッシュ大統領にも、彼にはそうなるに至った経緯や背景というものがあるんですね。
だから私は、とても申し上げにくいのですが、例えば共和国の代表や政治家や文化を嘲笑したりバカにしたりすることと、 ブッシュ大統領をバカにすること、これは問題が同じではないんですけれども、 しかしそこに、自分が理解できないものは敵である。
そしてそれは、全部そいつが悪いんだという情熱というのは、共通していると思うのです。
私は、そういうメンタリティがある以上は、結論から申し上げると、平和というのは無理だと思っています。
くり返しになりますが、自分が理解できないもの、あるいは不快なもの、不可解なもの、おぞましいもの。
そういうものをまるでなきが如く考える、あるいはその理由や存在そのものを認めない。
そういうことが、今の平和を乱している一番の要因だと思います。
「相互理解」とは、不可解なことを一生懸命理解しようとすること
前置きがずいぶん長くなりましたけれども、私が共和国に行って感じたことは、そういう「相互理解」ということの意味についてです。
ところで今日着てきた服、これはとても珍しく貴重な物で(笑)、共和国の平壌にある世界食糧計画という国際機関を訪れたときに6ユーロ、 日本円で言うと800円くらいで買いました。
それから、私はカメラが壊れてしまったので現地でカメラを買ったんですけれども、 ニコンのいいカメラが日本では1万5000円くらいだったのが、共和国では1万円くらいでした。
自分が思っていたいろいろなものが、 「百聞は一見にしかず」と言いますけれども、いろんな意味でステレオタイプに陥っていたなと僕は反省しました。
まさか共和国でニコンのカメラを買うとは思ってもみませんでした。
また板門店の軍事境界線を訪れたときに、北側から南を見たんです。
かつて南から見たことがあるのですが、本当に北の兵士は恐く見えました。
皆茶色い軍服を着て、さっきの話じゃないですけれども、理解が不能で、本当に彼らは不気味に見えました。
でも、北から見ると逆に見える。南のほうがはるかに強くて恐いというふうに見えます。
これは、同じ人間がいる場所によって世界の見え方が変わってしまうということです。
私はそういう経験を自分でして、本当に自分の認識というのは頼りにならないということに気がつきました。
ですから、相互理解というのはつまり、自分の不可解なものを一生懸命理解しようとすることだというふうに申し上げておきたいと思います。
それが、導入で申し上げたかったことです。
1. 「(北)東アジア」を考える意味―包括的アプローチの必要性
さて、私がいただいたテーマは「北東アジアの平和」です。レジュメには、「(北)」というふうに括弧付けで書いてあります。
ちょっと整理しておきたいんですけれども、普通は「北東アジア」という場合は、朝鮮半島を中心とした非常に政治的、 ときに軍事的なニュアンスの内容をともなう場合に使われることが多いと思います。
例えば、拉致問題とか核問題とか、そういうときに「北東アジア」ということばがよく出てきます。
あるいは、先ほどの和田さんのように「東北アジア」と言う人もいます。
私はあえて、この(北)を括弧に入れて東アジアというふうに書きましたが、 つまりこれは包括的な「地域」、regionという意味です。
一つのまとまった「地域」として、物事を考えていこうというのがこのタイトルの表れです。
日中関係、日韓関係、日朝関係、日米関係というふうに、bilateral、二国間関係で考えていくのではなくて、地域として考えようということです。
こういう考え方は、これから重要だと、私は思っています。
こういう考え方をしていかないと、ある意味、平和運動も乗り遅れるのではないかと考えています。
レジュメに、包括的アプローチとありますが、包括的というのは地理的にも、空間的にも、時間的にも、分野的にも、 あらゆる意味で包括的に考えていかないといけないということです。
これは手前味噌になりますが、 私が今やっている「平和学」という学問の見方でもあります。
国際関係論や政治学といった専門分野があるわけですけれども、 むしろ、今の複雑な問題を考える上では平和学、つまり、こういった問題を包括的に扱おうとするアプローチが有効だと思っています。
平和学というのは応用科学ですけれども、一つの分節化した領域を詳しく調べるのではなくて、 それぞれの問題が持っている連関性を見ていくという見方をします。こういう見方をしていかないと、 東アジアの問題というのは解けないだろうと私は思うので、皆さんには今日そのこともお伝えしたいわけです。
いわば、数学で例えると、多次元方程式のようなものです。
変数というか、状況を左右する要因がいっぱいあるわけで、 それが相互につながっているわけです。
それを同時に解いていかなければ、東アジアの様々な平和や暴力の問題は解けないだろうと思います。
1-1 地理的・歴史的なつながりとしての「東アジア」
さて、日朝関係あるいは日米関係というbilateralではなくて、地域として物事を考えていく包括的アプローチとは一体どういうことでしょうか。
これを私は皆さんともう一回、基礎的な問題にたち返って考えてみたいと思います。
それは第一番目に、地理的、あるいは歴史的なつながりという意味での地域、これは私たちが普通に考える「地域」という見方です。
たまたま近くにある、あるいはヨーロッパから見て東にある、そういう地理的な意味です。
それから、歴史的にも深いつながりがあったという地域。
この意味での東アジア、あるいは北東アジアというのは、やはり私たちはいろいろな活動やものを考える上で、 無視できない大事な次元を構成していると思います。
とくに前近代と言いますか、話のスパンが非常に長くなりますけれども、 近代国家が生まれる前のこの地域のあり方を思い出すことは重要です。
ちょっと話がそれますけれども、歴史を長いスパンで見ることが必要だということに関連して、 これは先日訪れた共和国に対するある意味での批判になるかもしれませんが、私は共和国のかなり古い大学を訪れたんです。
この大学は、世界遺産にも登録されるぐらいの非常に文化的な価値のある大学です。
私は大学人でもありますのでその古い大学を訪れて少々感動したのですが、 考えてみれば、朝鮮民主主義人民共和国ができるはるか前からその大学はそこにあったわけです。
しかしながら、近代国家というものは、これは共和国だけではありません、 日本も、韓国も、中国も、あらゆる国がそうであるように、歴史が近代というものを中心に再構成されてしまうわけです。
近代的な国家というものの枠組みで、歴史を後にも先にも延ばして解釈してしまう傾向があるわけです。
けれども特に、ヨーロッパではそうですけれども、大学は近代国家より先にできてるんですね。
ですから、ユニバーシティ、ウニベルシタスというのは、普遍性という意味をもっています。
しかし、東アジアにおいては、ほとんどの大学は近代に入って近代国家によってつくられました。
しかし、近代国家がつくられる前に、すでに立派な大学文化や文明が存在したという事実はとても大切なことだと思います。
そのときに、重要になってくるのが、そもそも国境のなかった<海>の存在です。
東アジアにおいては、海を媒介にした相互交流の歴史が、いわゆる近代国家が作られる以前の歴史だったというふうに私は思います。
「東海」あるいは「日本海」と言われるような海は、もちろん冬の間は東映の映画のはじまりの映像のように波がザバザバして 人が渡れる雰囲気ではないですけれども、3月から10月くらいは波が非常に穏やかです。
それはヨーロッパでは、地中海のような内海とくらべることができます。
地中海のほとりに立つと、本当にここを人々が何百年にもわたって行き来していたんだなというイマジネーションがどんどんとふくらんできます。
同じように東アジアの内海もおそらく、近代国家が明確にできる以前は、民衆の相互交流の歴史があったと思います。
しかしそれが、非常に雑駁な分け方ですけれども、近代に入って、民衆が分断されるようになってしまった。
近代あるいは近現代の歴史というのはいわば植民地主義の歴史です。そういう分断の歴史というものが近現代の歴史です。
日本は植民地を作り上げた当事者でしたから、そういう意味では私たちが東アジアの問題を考えるときに、 この近代の問題を中心に議論をすることは、重要なのですけれども、同時に私がいつも思うのは、そういった植民地主義や冷戦の時代の、 前の時代というものを思い起こしてみる必要があるということです。
そこからいろいろな想像力が生まれるんじゃないかという気がします。
1-2 「リスク」を共有した地域として「東アジア」を考える
第二に、これはあまり言われませんが、東アジアとは何かということを定義するときに、 今申し上げたような地理的・歴史的な地域と同時に、この地域はものすごいリスクを抱えているんだという事実が大切であると思います。
どういうリスクかというと、例えば、拉致問題かもしれませんし、共和国の核問題かもしれませんし、朝鮮半島の緊張、台湾海峡の問題。 いろいろ考えられるかもしれませんけれども、様々なリスクが集約している。
その代表が、私は例えば原子力発電所の問題だと思っています。
今日は、地図を今日持ってくればよかったんですけれども、東アジアは中国があり、ロシアがあり、南北朝鮮があり、 それから日本があり、台湾があります。ものすごい数の原子力発電所が今も稼動しているんです。
皆さんもご存知の通り、80年代以降、ヨーロッパでは原子力発電所からだんだんと手を引くようになっています。
でも一方で90年以降、さらにこれからも原子力発電を推進していこうとする世界でも突出した地域は東アジアなんです。
とくに、中国はこれから電力需要が高まってくるということもあって、原子力発電所はたくさん建設されていくでしょう。
そのときに、言うまでもなく日本の企業もたくさん貢献します。
例えばアメリカのジェネラルエレクトロニクス社やウェスティンハウス社とかそういう企業の下請けになって、様々な日本企業が関与する。
これまでの背景を少しだけ申し上げると、原子力開発というのは1953年に、 当時のアイゼンハワーという大統領が「atoms for peace」という有名な演説をしますが、それが画期となります。
それで、原子力、それまでは主に核兵器のことですが、核エネルギーは「平和利用」、 これは日本語でそうなっていますけれども英語ではcivic useと言うんですけれども、そういういわば民政のためにも使えるんだということになるわけです。
その演説を受けて、その後東アジアでも60年代、70年代を通じて、まずは日本です。
日本にIAEA(国際原子力機関)を通じて膨大な技術支援がなされた。
そして、非常に簡略化すると、その技術支援が、朝鮮半島、それから台湾などへとどんどんと広がっていったんです。
今は中国、それから東南アジアにもどんどん原子力発電所の設立、技術移転が展開しているわけです。
つまり、東アジアとはまさに原発のメッカだということができます。
ですから、もしチェルノブイリ級の事故が起こったときにどういう被害を被るかということで、 原子力発電所のそれぞれ半径500キロメートル、これは居住困難圏ですが、それで円を描いていく。
そうすると、東アジアの海というのはほとんど埋まってしまいます。つまり、原子力発電のリスクというものを、東アジアは共有しているんです。
それだけではなくて、多くの独裁国家が、あるいは韓国や台湾もかつてはそうでしたけれども、 原子力発電所を作るということと同時に、核兵器を開発することを視野に入れてきました。
私たちは、日本語でいう平和利用と軍事利用というふうに分けて理解していますけれども、 実際は原子力発電所を作るということと原子爆弾を作るということは本当に近いわけです。
一歩踏み出せば、すぐに核兵器の開発につながります。これはもう国際社会ではある意味の常識で、 例えば日本は今プルサーマル計画が頓挫していますから、プルトニウムがどんどん蓄積していく。
そうすると、例えば東南アジアの国際政治の専門家からも「日本は核兵器を作るに違いないんだ」という論文が出てきたります。
そういうふうに、原子力発電所と核兵器というのは、私たちが考えているよりもはるかに近い。
それに、例えば共和国の核問題が言われますけれども、それは単に安全保障の問題であるだけでなく、他方で完全にエネルギー問題なんです。
エネルギー問題と核を開発するという問題はバーターで議論されます。
こういった核兵器開発の潜在的可能性という問題も、私は東アジアの特徴だと思います。
レジュメには「「核地帯」としての東アジア」と書きましたけれども、こういう見方で見ていくと、エネルギー問題、 あるいは核の民政利用と軍事利用の両方を見ていったときに、東アジアというのは非常によく見えると私は思っています。
さらに言えば、かつてロベルト・ユンクというジャーナリストが指摘したように、原子力発電というのは強大な国家権力が集中的にやらないとできない。 民主化が進むと、原子力発電所の建設というのはなかなか難しくなる。
まず建設予定地の地方が反対します。また、たとえばフィリピンで86年に革命が起きますけれども、あの運動の一端は反原発運動だったと言われます。
日本でも、新潟の巻町が反原発運動の新たな可能性を切り開いていますが、それは、住民投票という直接民主主義の新しい形をも生み出したからです。
このように、やや単純化すれば、原子力開発とそれから民主主義というのはある意味、対語関係にあるわけです。
それは、東アジアの歴史を見てみると、いわゆる権威主義体制が原発を作るということと核兵器を作るということのオプションを模索し、 そして民主化が進むと、そのオプションが壊れていくという歴史です。
これは一つ一つの具体例を説明すると長くなるので省略しますが、今までの歴史はおおよそそのようなものだったと思います。
つまりある種の権威主義的な政治体制が、核をめぐって、あるいはエネルギー問題をめぐって上からの政治を展開する。
それに対して、徐々に下から民主化が進むことによって、その地域の既存の政治のあり方に流動化が生まれるという構造になっています。
いずれにせよ、東アジアはこうした、ある意味大きな共通のリスクを抱えています。
ですから、そのリスクを乗り越えるために協力しなければいけないという試み、例えば六者協議もその一つの試みですし、 他にも様々な試みが今なされていますけれども、そういったリスクを克服するための試みも生まれています。
そしてこれを逆に積極的に捉える必要があるとも思います。
逆に本格的な危機がなければ「地域」というのはそれほど自覚されないということも言えるかもしれません。
一つの危機を共有していくことによって、その問題を乗り越える共同体、地域を作らなければいけないというアイデンティティが生まれるわけです。
ですから、リスクを共有した地域として東アジアを考えるというのが二つ目の見方です。
1-3 新たなアイデンティティを注ぎ込む〈場〉として「東アジア」を考える
そして三つ目が、これは最近の地域主義の議論の中で非常に重要になっているのですが、新しいアイデンティティを東アジアの中に注ぎ込む。
そういう場として東アジアを考えるということが、東アジアを考える三つ目の意味ということができると思います。
例えば現在いろんな地域主義的な機構があります。昔はAPECが華やかに国際舞台に登場しました。
それから、ASEANがあります。EUもあります、NAFTAやAUなど他にもいろいろとあります。
こういう様々な地域主義的な国際組織というのは、時代を追うごとに意味が変わっています。
ASAENなどは本当に変わったと言えます。最初は、中国に対抗するための小さな小国連合でしたけれども、 今では東アジア全体の大きな安全保障を構成する主体になっています。
そういうふうに、どんどん新しいアイデンティティを注ぎ込まれることによって、地域の内容というのは変わっていくわけです。
たとえばNATOはどうでしょうか。冷戦が終わったはずなのに、気がついてみればいまだに続いています。
これからのNATOのアイデンティティはどこにいくんでしょうか。たとえばそういう問題が東アジアという地域を考える場合にもあります。
その中で、どういうアイデンティティをここに注ぎ込んでいくかということがこれから大事になっていきます。
ですから、この三つ目の東アジアは、これから将来に向かってつくられつつある東アジアだというふうに申し上げることができます。
ここには現在、様々なビジョンが流れ込んでいます。
例えばFTA(自由貿易圏)というのは、簡単に言えば、まずここで自由貿易地帯を整備して商売しましょう。
関税を下げて、市場経済を拡大しましょうという考え方です。
それから、もうちょっと文化的な側面に目を向けた「東アジア共通の家」という考え方も出ています。
これも新しい試みです。それから、今申し上げたASEANを中心に進展している「東アジア共同体」のような、 そういう安全保障もふくめた非常に政治的にガッチリとしたアイディアも生まれているわけです。
ですから私が申し上げたいのは、私たちもまた、ここに新しいアイデンティティを注ぎ込む主体であるということなんです。
これからこういう地域を作っていこう。こういう平和を作っていこう。そういう私たちの意識がこれからの東アジアをつくっていきます。
生成する、日々作り上げられている東アジア、ということも同時に考える必要があるということを、一番で申し上げたかったわけです。
この地域の平和を考えるうえで、この三つ目の地域の見方は、グローバル化と呼ばれる現象の下ではとくに重要であると思います。
2. 「有事化」する世界と東アジア
2-1米国世界戦略の変容と日米同盟の変化
さて、今日はそういった東アジアの「平和」というものが、どのように脅かされて、それをどう克服していったらいいのかということを、 話してほしいということだったので、残りの時間で簡潔にお話したいと思います。
レジュメには、「有事化」すると書きましたけれども、まさに今起こっていることは「有事化」というふうに言うことができると思います。
「軍事化」と呼んでもいいかもしれません。この問題の背景には、いうまでもなく米国の存在を見逃すわけにはいきません。
米国の軍事戦略がとくに冷戦後変容していて、これが従属変数ではなくて、主要な起動因となっています。
それに伴って、日米同盟が変化しているというふうに思います。
それでレジュメには「イージス艦問題」と書きましたけれども、これは一時的なトピックではなく、今後を占うとても重要な問題だと思います。
なぜ重要かというと、イージス艦というのはどういう船かということですけれども、これは「新しい戦争」を担う兵器なんです。
それで「新しい戦争」とは何かというと、今、戦争のサイバネティックス化というふうに言われていますけれども、 戦闘行動のプロセスが一つの神経系統のようになっていて、情報が非常に大きな役割を果たすようになってきている。
そしてそれを担うのがイージス艦なんです。
イージス艦というのは、従来の船の4倍から5倍縦横に、しかも同時多発的な対象というものを捉えることができますし、 それを分析することができますし、 攻撃することができる。
ですから、「新しい戦争」を担う兵器なんです。レジュメには、MDと書きました。
Missile Defense という言葉の訳ですけれども、このアメリカが打ち立てたMissile Defense構想の原型は もともとレーガン政権下の「スターウォーズ計画」に端を発するんですけれども、この考え方は私たちが今まで通常考えてきた戦争、 第二次大戦とかその前の戦争とはまったく考え方が違うんです。
これを私たちは理解しないといけない。理解しないと、それに対抗できないと思います。
それで、米国にとっての「新しい戦争」とはどういうものかというと、それが求めているのはいわば、「絶対的安全保障」ということです。
文字の通り「絶対に安全」ということです。伝統的な安全保障という考え方は基本的にこういう考え方です。
自分も傷つくかもしれないけれども、相手も傷つくかもしれない。お互いに弱いところがある。
だから、お互いに冒険的なことは慎もうという考え方です。それが、「抑止」という考え方だったり、「勢力均衡」という考え方につながります。
しかし、MDというのは絶対的な安全保障を目指します。
つまり、いつ、いかなる、どんなときでも自分は絶対傷つかない。
だけども、相手を傷つけることができるという考え方です。
これは、昔よくテレビアニメでみた「バリア」みたいなものですね。
自分の領域は「バリア」で完全に守る。そして、敵のミサイルなり様々な攻撃を事前に防ぐ。シャットアウトするわけです。
そしてこの「事前に」、というのが大事なんです。
「先制攻撃権」という考え方をブッシュJr.政権は打ち上げます。これはいわば、革命的な概念です。
もちろん、国際法では認められないものです。 国際法の前提は近代に作られたものですから、今申し上げたように、相互に傷つく可能性があるからお互いに慎む。
戦争するときにもルールがあるというのが戦争法、あるいは国際法の考え方ですけれども、この先制攻撃ができる。
あるいは、自分のところは絶対安全だという考え方は、従来の考え方とまったく違うんです。
現在、米国が進めている新しい軍事戦略を、私なりに理解している範囲で皆さんにわかりやすくお伝えすると、こうなります。
今、韓国から米軍が引いています。それから、ヨーロッパからも引いています。これはなぜでしょう。軍事的に一番大事なのはアメリカ本土です。
これを絶対守る。そのために必要なのは、それを攻撃しようとする相手の情報です。そしてこれを提供するのは同盟国です。
だから、現在のブッシュ政権は同盟国を重視します。敵か味方かで、同盟を重視するわけです。
そして、有志、つまり自分と志を同じくする国に、それを肩代わりしてもらうわけです。
今までは二方面戦略、世界中に二ヶ所で同時に戦争が起きても、米軍が全部その火を消せるというやり方でしたけれども、 今度はアメリカは少しだけ引っ込んで、その自国の本土を守るために出先機関や同盟国に情報提供の役割を担わせる。
ときには、事前の攻撃もやってもらう。そのときに大事なのがイージス艦です。海に浮かんでいる基地みたいなものです。
それを、日本政府にも担ってもらおう。もうすでに、日本の軍隊はインド洋にも行っていますから、練習済みです。
それを、東アジアでもやろうということです。このことをむしろ「いいことだ」という人もいます。
日本の防衛関係者が書いた論文を読むと、 「だから、日米同盟は大事だ。これからいろんな脅威があるからMD戦略の中に入って、日米同盟を維持して日本を守るんだ」という結論になっています。
だけども、注目しなければいけないのは、国際政治はそんなに甘くないということです。
日本は守られる、というのは実はアメリカにとって第二次的な問題です。まずは自国本土が守られなければいけない。
そして、第二次的なところが守られるのはなぜかというと、 当たり前のことですけれども、それは軍事的には出先機関を守るためという理由でしかありません。
そういう考え方で今、軍備再編が進んでいるわけです。
そこで、どういうことになるかというと、一番この動きによって刺激されているのは中国です。
これは安全保障の常識なんですけれども、絶対的安全保障を追及すると逆に危険なのです。
つまり、バリアならバリアを破るための兵器を潜在的に敵だとされている主体は作らざるをえなくなる。
軍事的合理性から言ってそうなるのです。
そうすると何が起こるか。MD戦略を進めることによって非核化、つまり東アジアから核兵器がなくなるのではなくて、 小型核兵器を含めた新しい兵器がどんどん開発されていくかもしれませんし、軍拡が進んでいく可能性も高まります。
これが、「安全保障のジレンマ」と言われているものです。
つまり、絶対的な安全保障を求めると、逆にそれを上回る兵器を開発しようとする。これは当たり前なんです。
ですから、先ほど申し上げた原発を抱える新潟としては、こんな愚かな戦略、 しかもそれを支えるイージス艦の寄航というものに賛成するわけにはいかないのです。
なぜかというと、なによりもこの「バリア」は原発を守りませんから。 また、様々な人が指摘するように、このMD構想では敵のミサイルの発射段階で撃つのが一番合理的なんですけれども、 発射段階で外れたら大気圏外でねらって、そして着弾の前に撃墜するという、そういうこと自体技術的に難しいわけです。
同時に、この構想は今の米国国内の軍需産業の構造からも、説明されなければなりません。
必ずしも、国民の安全を守るという論理では進んでいませんし、もっと言えば、日本を守るという論理で進んでいるのではないわけです。
簡単に申し上げれば、アメリカの一部の人々の利益を守るために日本の自衛隊やイージス艦を使うという論理です。
それで、アメリカは、イラクの独裁政権は許せないけれども共和国に対してはどうしてああいう対応をとるかというと、 まずはそこには石油がないからです。
つまり、中東や中央アジアのエネルギーや資源をめぐるヘゲモニーというものを引き続き米国は中心に考えているので、 東アジアは軍備を削減して、何かあったときには日本に情報提供を頼みながらそういう外注をどんどんしていく。
おおまかに言うとそういうことになると思います。
先ほど司会の高野さんが、日本国内ではむしろ米軍が強化されるということをおっしゃっていましたけれども、 強化されるという意味は質的にも考えなければならないわけで、つまり今までの同盟の意味も少しずつ変わってくると思います。
つまり、日本全体が世界大に展開する米国の新たな軍事戦略のいわば出先機関になりますから、 今でもそうですけれども、もちろん「テロ」の対象にもなりますし、 日本は一番危険な任務をこれまでより危険なところで担わされるということになっていくと思います。
2-2 つくられる「脅威」
そういうときに、そういう新しい政策をあたかも合理的であるかのように見せ、進めていくためには、いつも新たな「脅威」が必要となります。
これは、歴史的にもくり返しなされてきたことです。
安全保障の議論を進めるためには、その安全は何によって脅かされるのかという脅威の明確な定義が必要です。
そのときに、言うまでもなく今回は「北朝鮮」という国全体が脅威の対象にされる。
レジュメには「新しい安全保障研究」と書いてありますけれども、 今ヨーロッパを中心に議論されていることですが、その議論から学べることは、 安全保障の問題を考える場合、誰か軍人や政治家などの定義する「安全保障」をそのまま信じてはいけないということです。
なぜならば、その議論がされる前提に、いろんな「脅威」が想定されるわけですが、それがときに恣意的に決められるからです。
東アジアの場合は今のところ「北朝鮮」という非常に恐い脅威がある。
そこからテポドンなどのミサイルが飛んでくるから、それに備えなくてはいけないという論理で、 防衛庁も含めて多くの安全保障の議論が成り立っているわけです。ですから、「脅威」が創り出されるという政治的プロセスに注目しなければいけません。
ですから、私たちは自分たちにとって本当に恐いものは何かを自分の頭で考えなければいけないということです。
それは本当にテポドンや拉致なのか、またたとえそれが脅威だとしても、本当に安全保障の第一の前提になるのかということです。
それを市民の側から、本当に私たちの生命や生活を脅かすものは何かということを一から考えていかなければいけない。
少なくともそういった最も重要な問題を他人任せにはできないということを強調しておきたいと思います。
2-3 地方と周辺に移譲される抑圧と暴力
このような世界をまきこんだ有事化、最も大きな背景に米国の世界戦略があり、それを補うべく新しい「脅威」が次々と作られていく。
そして、その「脅威」に対抗するためということで、様々な軍事的な再編成が行なわれるというプロセスは、 実は、その矛盾を周辺や地方に押しつけるというしくみを伴っています。
この講座では何回か有事法制についてお話をしたということを伺っていますので、皆さんよくおわかりだと思いますが、 結局、有事化の最前線というのは地方や周辺、個々の人間ということになります。
ですから、先ほどイージス艦問題が非常に大事だと言ったのは、イージス艦が新潟の港に寄港するというのはただそれだけの問題ではなくて、 世界の軍事化の問題がまさに新潟港に集中する。地方にMD戦略の問題が表れてくる。
だから、最後にも言いますけれども、私たちは新潟に住んでいて、そして様々な東アジアの問題を考えていくということは、 グローバルな問題の最先端にいるということです。
ですから、そういう意味でレジュメには「地方と周辺に移譲される抑圧と暴力」と書きましたけれども、 そういう構造が東アジアにもあります。それは、たとえば一連の有事法制に一番端的に表れているというふうに思います。
2-4 全体主義と「文化的暴力」
そして、最後に見逃すことができないのが、文化的な問題です。
「有事化」は軍事的、政治的、法律的に展開すると同時に、それは意識、あるいは文化の次元でも静かに進行しています。
これを私は「全体主義」あるいは「ファシズム」とあえて言います。
ファシズムと言えば、この中には学校の先生もいらっしゃるのかもしれませんけれども、教育現場こそ、 現在全体主義の戦場であるとも言えます。先ほどもラジオのニュースで石原都知事は「日本の将来を決めるのは教育問題だ」と叫んでいました。
現在、日本の有事化を進め、それを快く思う人たちの一番のターゲットは教育に他なりません。
教育をターゲットにするというのはどういうことかというと、 今の子どもたちが大人になる10年か15年のスパンで考えているということです
。平和勢力がそれぐらいのスパンで考えているのかどうかと私は問いたいんですけれども、彼らは今準備をしておいて、 最後の仕上げは10年後ぐらいだと考えているのかもしれません。
平和学では「文化的暴力」という概念があるんですけれども、 これはどういうことかというと、暴力や戦争を正当化することも、暴力に他ならないということです。
だから例えば、イラク戦争で何千人死ぬのは仕方がないというような専門家のコメントも充分暴力です。
手段としての暴力をやむをえないと正当化することもまた一種の暴力だ、というのが平和学の立場です。
ですから、そういう「文化的暴力」の問題についても私たちは注目していかなければいけない。
また、レジュメには「歴史修正主義」と書きましたけれども、全体主義の世界では歴史は作り変えられるということです。 歴史が自由に、現在の権力の都合によって作り変えられてしまうということです。これは全体主義の社会の大きな特徴の一つです。
ですからたとえば、歴史教科書をめぐる問題は有事化する東アジアの問題を考えるときに一番重要な問題の一つとなります。
3. 東アジアの「平和」=「共生」の意味
さて、こういう重層的なと言いますか、多次元的な「有事化」が世界中で広がって、それが東アジアにも及んでいるということです。
そういう中で、それでは東アジアの「平和」、あるいは「共生」、共に生きるということを追求するというのはどういう意味を持っているのだろうか、 ということを次に考えてみたいと思います。
3-1 二つの「共生」概念
「共生」には二つの意味があります。ちょっと難しいんですけれども、共に生きるというのを英語の辞書で引くと二つのことばが浮かびます。
一つはsymbiosisという生物学的な用語です。その場合、「共生」とはつまり、お互いに生きるための共存関係のようなものです。
たとえば、クマノミとイソギンチャクみたいなものです。お互いに生きるために、互いがお互いを必要とする。
お互いが妥協した産物として環境ができあがるということです。だから、これは決して甘くない。
ときに食ったり食われたり、あるいは矛盾とか問題を抱えあったりする中で、お互いに妥協してなんとか生きていくという概念です。
お祭なんかで楽しく一緒にやることもconvivialと言い、「共生」と訳されるんです。
この「共生」のもう一つの意味は、むしろ創造的なもので、新しく楽しいものを前向きに作っていこうという意味をもっています。
私は、この二つの「共生」というのは東アジアにおいてもあてはまると思いますし、その両方ともが、この地域でとても大事だと思うのです。
冒頭で相互理解ということを申し上げましたけれども、東アジアというのはいわばまだ冷戦構造が残っていますから、 この地域の「共生」を考えるためにはconvivialityだけではダメかもしれません。symbiosisというのは「少なくとも共に生き残るために」ということです。
だから、先ほどの議論に返りますけれども、「あの国を壊してしまえ、経済制裁をしてしまえ」ということは「共生」概念に当てはまらない。
むしろ全然違うけれども、どうやって共に生きていくか。問題を共有してどうやって平和的な手段で解決できるのかを考えなければならないと思います。
このことは、例えば夫婦における「共生」についても言えると思います(笑)。夫婦も両方ありますよね。
アツアツのときはconvivialityかもしれませんけれども、とにかく子どもを育てなければいけないとか、 とにかく家のローンを払わなければいけないとか、そういう問題をめぐって、 とにかく目の前の生まれも育ちも違う相手と共に生きていかなければいけないという、そういう次元も案外大事だと思うんです。
皆さん笑ってますけれども、お互い違うからこそ、なんとか双方が違いを認めながら一緒にメシを食わなければならない。
そういう部分が「東アジアの平和」という課題を考える上でも非常に大事だと思うんです。
3-2 「和」の原理の再生
キリスト教文化圏には「寛容」という概念がありますけれども、東アジアには昔から「和」という、英語で何と訳していいかわかりませんけれども、 つまり多元的な価値を同時並存的に認めていくという文化が非常に強く残ってきたと思います。
ですから、むしろ東アジアの「共生」というものを考えたときに、原理の違うもの同士が共に生きていくという、 「和」の原理を再発見していくということが非常に大事だと思います。
これに対するのは原理主義です。世界には善と悪しか存在しない。
それで、この原理に背くものは間違っているという考え方です。
私は、この原理主義というものが今、世界の大きな問題の根幹にあると思います。
例えば、ブッシュJr.という人はある意味で正義感に燃えた「いい人」だと言えるかもしれません。
彼は何の反動か、非常に真面目なところがありますね。
私が申し上げたいのは現在、自分の善意を押し付けていくという形の「悪」があるということです。
自分の善意や正義を絶対化して他者に押し付ける。
そういうことが今、「文明の衝突」をもたらしているとすれば、 私は今後「和」の原理が見直されていくのではないかと考えています。
東アジアでも東アジアの「和」の原理、伝統というものを生かした平和構築が可能になるのではないでしょうか。
3-3 東アジアの非武装化・脱冷戦化がもたらすもの
さらに、東アジアの「平和」を追求する意味は、それが世界の非軍事化に大きく貢献するということにあります。
個々の問題が奥底でどうつながっているのかを考えるのが平和学の特徴なんですけれども、逆に東アジアの武装化、冷戦構造の固定化、 あるいは「有事化」が激しくなっていくということは、日本の軍国化が進むことであり、平和憲法が改正されることであり、 教育基本法が改正されることであり、それから全体主義、ファシズムが進むことに他なりません。
また、それだけではありません。先ほど述べたアメリカの世界的な軍事戦略というものが、ある意味ではかなりの部分実現されるわけです。 現在EU、ヨーロッパは少なくとも多極的な世界秩序を目指していますけれども、こういったイージス艦、あるいはMD戦略を引き受けて、 日本政府が武装化や再冷戦化に加担していってしまうと、たとえば最悪のシナリオが、自衛隊の若者が中国のどこかに行って人殺しの手伝いをする、 あるいは人殺しをしてしまうという時代が来てしまうということになりかねません。
これは論理的に考えるとそうなるわけです。
だから、これはよく「普通の国になる」という言い方をしますけれども、 「普通の国になる」という言い方が何で間違っているかというと、「普通の国」という基準が世界にあると思い込んでいるからなんです。
私は違うと思います。
先ほど申し上げたように、原理主義に対抗するには、あるいはグローバリゼーションに対抗するには、 多様性、多様な存在を認める文化が必要です。何で私たちは東アジアモデル、あるいは日本モデルというものを作っていかないのか。
日本国憲法は日本モデルの一つの礎になると思いますけれども、 「普通の国」ではなくて、固有の国、固有の世界を作っていかなければいけないと思います。
しかし、「普通の国」というのはどういう国かというと、今まで60年近く軍隊が人殺しをしなかった国が、 フツーに人殺しをする国になるということに他なりません。
4.「平和への準備」―何ができるのか
こういうふうに、実は私たちは世界の平和問題の最前線にいるということを、今日は皆さんに申し上げたかった。
新潟で北東アジア、東アジアの平和を考えるということは単に一地域の問題にとどまらず、 ある意味で今後の世界のゆくえについて考えるということでもあります。
だから、私たちは非常に責任が重いと言わなければならない。そこで私たちには何ができるでしょうか。
それを、「平和への準備」ということばで表現させていただきました。
これは、テッサ・モーリス=スズキさんというオーストラリアの研究者がいるんですけれども、彼女の本の中から引っ張ってきたことばです。
先ほど、保守勢力、あるいは歴史的修正主義と言いますか、 軍国化を進める勢力は10年~15年先を見ていると言いましたけれども、 私たちも平和への準備というものを今から始めないといけないと思います。
つい先日の8月15日に、私は東京で仲間といっしょに「平和への準備」と題する集会を開きました。
そこにきてくれた、映画監督の森達也さん、それから、『DAYS JAPAN』という新しいメディアを作っている広河隆一さん、 歴史認識問題の中心で活躍される高橋哲哉さん。
それから新しくできました「九条の会」の事務局長をやっている小森陽一さん。
それから9・11以降に新しく展開している平和運動・「グローバルピースキャンペーン」をやっているきくちゆみさん。
それから千葉大学の先生で、「平和への結集」とか新しい公共哲学とか、そういうアイディアで若い人を中心に運動を展開している小林正弥さん。
これら今まであまりお互い会うことがなかった様々な分野の人たちを一緒にして、これから平和に向けて団結するために、立場や世代や主義、 主張を超えて8月15日に集まりました。朝日新聞にちょっと載りましたけれども、後のメディアにはほとんど無視されました。
笑い話になりますけれども、一ツ橋の教育会館でやったのですが、行ってみたら右翼対策の機動隊が無数に来ていて、 「我々もようやく注目されるようになったのかな」などと言ってたら、同じ棟の8階でやっている反戦遺族会の集会をターゲットにしたもので、 彼らの集会が終わると機動隊はほとんど消えてしまっていました。
だから、思ったより注目されなかったという悲しさがあるんですけれども(笑)、 それはそれとして、平和への準備を少しずつこれから始めようと少しずつ動きがはじまっています。
新潟でも同様の試みができると私は思っています。
4-1 歴史性・思想性の回復
レジュメに、「歴史性・思想性の回復」と書きました。
難しい言い方ですけれども、今の政治の世界やわたしたちの日常生活から何が急速に失われているかというと、 思想性と歴史性なのではないかと思っています。
思想性とはいってみれば自分の内側に内省をしていく態度ということで、歴史性とは、これも自分たちの生きる条件を内省するという態度です。
そういうものを回復していかないといけないと思っています。
今年12月に、私は学生たちといっしょに日本軍「慰安婦」の韓国のハルモニを新潟に呼ぶ、証言集会というものを企画しています。
ハルモニは高齢化していますから、今のうちに彼女たちの肉声に耳をかたむけておきたい。
不幸な事実を「無かったこと」にするのではなく、それをふみしめて新しい未来をつくっていきたい、という思いです。
先日、あるテレビ局のプロデューサーがやって来て、 「いやあ来年8月で敗戦60周年だから局としても何かやらなければいけないんですよ。 先生、何かいいアイディアありませんか」と言うのです。
つまり、おそらく今、テレビやマスコミの世界だけでなく日本の平和運動は、いわば盆踊りのようなものなんです。
お盆にやるお祭りみたいに毎年やらなければいけない。
今年はオリンピックでかき消されてましたけれども、一種のルーティーンというか、年中行事みたいになってしまっているんです。
それで、そのプロデューサーが言うには、「もうやり尽くしました。例えば、おじいさんが出てきて昔の話をする。
それでまた戦争をやってはいけないというと話をする。こういう番組はもう新味がないんです。
ネタがつきました」と言うんです。
私は「だからといって、他に何をするの?」と言ったんです。
つまり、私が大事だと思うのは、今のどんどんと民衆の忘却を促進させようとする風潮の中で、 どうやってかつての歴史経験というものを現在にリンクさせることができるかということです。
このプロデューサーも、そのことに悩んでいました。
まさにそこを一生懸命考えないといけない。
メディアだけでなく、私たちもですね。そうしないと、歴史に復讐される。
同じことが起こってしまうんです。
たとえば今、「アジアに向かえ」と私たちが言ったとすると、 皆さんもご存知のように、かつてアジア主義、アジアに向かったロマン主義がどういう落とし穴に落っこちたのかということをふまえないでいると、 それがいかに可能性に満ちたものでも、かつてと同じようにひとりよがりの不幸な歴史を再現してしまう可能性があるのです。
4-2 「おまかせ平和主義」からの脱却―平和を構想する
それからもっと大事なことは、もう自分たちの安全は自分たちで守らなければいけない時代に入っている、ということです。
だから、平和憲法があれば大丈夫だとか、日米同盟があれば大丈夫という「おまかせ平和主義」の発想はもう終わっていると思うんです。
そうではなくて、自分たちの家、あるいは地域の安全はどういうふうに守るのか。どういうものが自分たちにとって本当に脅威なのか。
それを民衆自らが考えなければいけない時代になっていると思います。
先ほど申し上げましたけれども、その作業を下からやっていかないといけないと思います。
イージス艦が来ると、テロの対象になるからこんなの来てもらっては新潟の安全保障が守られない、というのは一つの論理ですね。
この場合、自治体と政府の「安全保障」は大きく食い違います。
災害でも何でもこれから「安全」の単位は、単に国家だけが独占することはできなくなるでしょう。
そういう地方が積極的に国際的な平和問題に発言する一つの例として「非核自治体宣言」というものがあります。
また、これはご存知の方がいらっしゃるかもしれませんが、 例えば、梅林宏道という方は、長年にわたって「東アジア非核地帯構想」というものを提唱して運動されています。
これは国際条約を市民発で作っていきましょうということです。平和構想を市民が自ら作っていこうということです。
そういうことを東アジアを舞台にしてやっていかなければいけない。
そしてそれを下からやるというのが重要です。
かつてヨーロッパでも、冷戦が終わる際にはいろいろな背景がありましたけれども、いわゆる「下からのデタント」というものが不可欠でした。
つまり、市民社会レベルでの平和構築というものをやっていかないと、上の政府間の交渉だけではなかなかうまくいかないんですね。
しかも長続きしない。
ですから、このような「非核平和都市宣言」、あるいは「無防備都市宣言」、「自治体外交」といったもの、 こうしたもの、これはもうかなり前から行なわれていることですが、 こういうものを相互に横につなげて本当に民衆にとってのリアルな平和や安全を追求していくことが課題になっていると思います。
おわりに:闘技場としてのメディアと言論空間 ―― オルタナティブ・メディアをつくる
最後にレジュメには「闘技場としてのメディア」と書きましたけれども、私は今、権力というもの、 力というものの内容が、言葉とか言論とかイメージとか、次第にそういうソフトなものに変わりつつあると思っています。
それはどういう意味をもつかといえば、権力が液状化して日常生活の細部にまで浸透してくるといういうことと同時に、 私たちは逆に日常から権力をくみかえるチャンスをもつようになったということだと思います。
ですから、もちろん私たちは、例えばバンカーバスターや、イージス艦を持っているわけではないですけれども、 私たちは言葉やメディアの力、それから言論空間に働きかけることによって、実は予想外に大きな力を及ぼすことができるというふうに思います。
そのときに大事なことは、まず「二元論的世界を克服する」ということです。
今ある様々な二元論的な議論やステレオタイプのイメージというものを少しずつ変えていかなければいけない。
そしてそのためには、私たちは「オルタナティブ・メディア」というものを作っていかなければいけない。
もう一つのメディアを作っていくということが、これからの平和運動としてはとても大事な課題になると思います。
東京に行くと、「新潟」と言うとお米と雪、アルビレックスと拉致なんです。
米、雪、アルビレックス、拉致、それから北朝鮮、あるいは万景峰号です、新潟のイメージは。
あの「田舎」で、北朝鮮のバッシングのメッカで、 「東アジア」?「平和」?よく分からんということになるかもしれません。
ステレオタイプのマスメディアは気にもとめないかもしれません。
しかし、オルタナティブ・メディアを通じてしんぼう強く伝えていくことによって、 「新潟」のイメージは反転するかもしれません。
今回、私が北朝鮮に行けたのも、そこにいらっしゃるNGO代表の川村さんが連れて行ってくれたからなんですけれども、 川村さんは今回メディアをたくさん連れていこうとして、先方に文句を言われていました。でも私は川村さんに賛成なんです。
共和国政府にとっても、もっとメディアを入れて、日本国内のステレオタイプを壊すことは有益だと思います。
つまり今、いろんなところで世界認識の壁ができている。
パレスチナ-イスラエル間のセキュリティウォールのようなものだけではなくて、様々な情報の壁ができている。
そしてそのようにお互いに他者とコミュニケーションできない状況、ディスコミュニケーションを利用して、多くの権力がそこに生成する。
とても抽象的な言い方ですが、 簡単にいえば、顔の見えない「敵」をことさらに強調することによって、 自陣営のひきしめを図るという古典的な政治手法が今でもいたるところに見られるということです。
例えば、ブッシュ政権の「対テロ戦争」もそういった文脈で理解することができます。
ですから、私はまず世間に流布している様々な硬直した世界観や、メディアのあり方というものを崩していくことが非常に重要だと思っています。
だから、例えば共和国に出かけていって、今まで言われてきたことはその通りのこともあったかもしれないけれども、 見てみたら違うこともあったということをどんどんと新潟の中に持ってかえるということも必要ですし、 それについて公の場でどんどんと議論をすればいいと思います。大切なことは、世界観を一枚岩にしないということです。
そういうことが、これから私たちの運動の一つの基盤になると思います。
もう一つの、市民にとってのメディア、媒体をつくっていく。
それは、今後の東アジアの平和を目指す平和運動にとっても、死活的に重要になってくると思います。(終)