新潟国際情報大学 佐々木寛 研究室
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From Niigata to the world新潟から世界へ

有事法制に関する衆議院地方公聴会意見陳 2002.6.7

わたしは、わたしが専門としている安全保障および平和研究の観点から、当該法案に関する所見をいくつか述べようと思います。 時間も限られており、個々の法案の細部にわたった検討は物理的に不可能ですので、 当該法案がもっている包括的かつ政治的な<意味>について簡潔にかつ率直に議論させていただきたいと思います。 

まず、当該法案がもつ<現実主義の不在>、つまりリアリズムが欠如しているという問題について論じたいと思います。

いわゆる「有事関連法案」の基本的な枠組みを規定する「武力攻撃事態法案」の正式な名称は、「武力攻撃事態における我が国の平和と独立ならびに国および国民の安全の確保に関する法律」となっています。 しかし結論から申しあげれば、この法案によって「我が国の平和」や「国および国民の安全」は近い将来、 むしろ不安定かつ危機に見舞われる可能性があることを指摘したいと思います。 

わたしが専門といたします安全保障理論の基本原則として、自国の「安全」をひたすら追求することが、 むしろ近隣諸国の「不安」や「警戒心」を喚起し、 かえって自国の「安全」を不安定なものにするという「安全保障のジレンマ」と呼ばれるいわば歴史的な法則が指摘できます。 すでに当該法案の提出が近隣諸国の著しい不安感を高めていることは個々の例をあげるまでもありません。 近年、日本政府が進めてきた、「PKO協力法」、「周辺事態法」、「テロ対策特別措置法」の一連の整備は、 近隣諸国にとって今回の法案提出と無関係だとは映っていません。 日本は、いよいよ本格的に「軍事行動を拡大する」あるいは、「戦争放棄の束縛から抜け出す」、 そして今回の法案は平和憲法改正にまで至る決定的な一歩を踏み出したと見られています。 このことは、具体的には、韓国や中国政府のみならず、 特にアメリカ政府によって明確に敵視されている北朝鮮政府の警戒心を著しく高めています。 先の福田官房長官による非核三原則の見直しを示唆する発言は、さらにこの警戒感に追い討ちをかけました。 その意味で本法案は、冷戦後、東アジアでさまざまな地域的協力関係が築かれようとしているまさにその最中に、 むしろ東アジアの対話ムードの建設を不可能にし、逆に軍事的な緊張をさらに高めてしまう可能性が高いといえます。

また、一例を挙げれば、特に新潟は世界最大の原子力発電所を抱えています。その規模はチェルノブイリ原発の比ではありません。 事実上、軍事的にこれを故意に破壊することはそれほど難しくはないでしょう。 多くの専門家が指摘するように、原子力発電所は脆弱性がきわめて高い施設だといえます。 ですから実は事が起こってからでは遅いのです。 そこで、逆にいえばどうしてこれまで日本の原発は「攻撃」されずにすんだのかを考える必要があります。 重要なのは、むしろ今回のいわゆる「有事法制化」によって政治的には明確な戦闘上の敵対国となってしまうということです。 アメリカはあれほど国内的にも国際的にも安全保障システムに力を注いできたにもかかわらず、 どうしてたびたびいわゆる「テロリズム」にあってしまうのか、その背景を考える必要があります。 そして国民や市民の安全とは本当は何であるのかを現実主義的に考える必要があります。 また、これら一連の法案の背景には、「万一攻められたらどうするか」「万一こんなことが起こったら」という、 「非常事態」、「例外状況」の論理が貫徹しています。日本国憲法には緊急条項がない、だから整備しようということです。 もちろん、緊急に際しての法的な取り決めは不可欠ですが、「例外状況」の論理を強調することによって、 その「例外状況」の論理が「平時」の論理を凌駕して、押し殺してしまうというのはわれわれが世界の歴史に学ぶところです。 本法案では、「有事」において国民、地方自治体そのほか市民社会そのものが一方的に「協力」を要請されますが、 それによって何よりも「シビリアン・コントロール」や「民主主義」そのものが危機にさらされてしまいます。 この法案は「全体主義」の苦い経験を味わったわれわれの20世紀の経験に対する配慮が著しく欠けています。

さらに、本法案では、大規模軍事侵攻が前提となっていますが、 それは時代錯誤であるだけでなく、一体そもそも、日本政府はその「有事」を主体的に判断できるのでしょうか。 本法案では「武力攻撃事態」と「周辺事態」との関連など、米軍の役割の不明確さが目につきますが、 事実上、米国の軍事戦略との一体化が指摘されています。 高度な情報技術に支えられ、あらゆる国境や地理的範疇をこえた現代戦争の論理、 あるいは今後世界中で戦争を継続すると宣言し、すでに「有事化」した米国の世界政策をつぶさに検討すれば、 これら一連の法案整備によって日本がどのような戦争や危険に巻き込まれてゆくのかははっきりしています。 

最後に<本当の平和政策:本当の現実主義>について。 1945年の敗戦以来、半世紀以上、戦場と認められる地域に於いて戦闘行為によって日本軍の兵士に殺された人間は この地球上にたった一人もいません。合法化された殺人を半世紀以上にもわたって行なわなかったのは日本国民の誇りであります。 われわれは再び戦争加害者になるべきではありません。 本当の安全・平和構想とは何でしょうか。 日本国内の安全保障は国際的安全保障が前提であるというのは、 何万もの死者の上に決意された日本国憲法がその根幹に据えているものであります。 東アジア、および世界の平和環境を創出することこそが真に現実主義的な平和・安全保障政策であるにもかかわらず、 そのような展望も一切ないまま、なぜ今急いでこのような緊急法が要請されるのか、理由がわかりません。 「具体的な脅威が高まっている」というのは、およそ冷静な分析に基づいてはいません。

結論として当該法案につきましては、日本および国際社会の平和構想という「理想主義」はもちろんのこと、 まさに「現実主義」が欠落していると言う意味でも、きわめて拙劣な法案であると断言することができると思います。 

以上、わたしからの意見陳実を終わらせていただきます。