極東連邦大学

私の留学体験記

ロシア留学レポート

進藤 愛

私は昨年の8月末から今年の1月初旬までロシアのウラジオストクにある極東国立総合大学に留学しました。そこでは多くの出来事、多くの人に出会いました。ウラジオストクに来たばかりのころは、言葉が通じない、分からないことに悩んでいました。しかし毎日ロシア語を勉強していくにつれ、少しずつではありますがロシア語を理解し、話せるようになっていきました。

極東国立総合大学にはルースカヤシュコーラというロシア語学校があり、私たちはそこで毎日ロシア語を学んでいました。そこには日本人だけでなく韓国人、中国人、アメリカ人もいました。私はロシアに行くのだから、ロシア人とたくさん出会うのだろうなと考えていましたが、ロシア以外の国の人たちともたくさん出会うことができました。ロシア語だけでなく、様々な国の言語が毎日聞こえてきました。

  授業は会話と文法の他にも歴史、民俗学、リスニング・発音、美術、音楽などがありました。どの先生もユニークな先生で時折、冗談を交えながら授業を進めてくださいました。ロシアの授業は日本の授業と大きく異なり、参加型授業です。そのため、生徒が自主的に発言をしていく必要があります。もちろん授業はロシア語のみで行われますので、最初のころはついていくので精いっぱいでしたが、慣れていくうちに楽しめるようになり、発言できるようになりました。

私たちの代からの試みで、毎週木曜日に極東国立総合大学の日本語学科の生徒たちと交流しました。ロシア人と日本人に対するステレオタイプについて話し合ったり、終盤にはロシア人と日本人がテーマごとに分かれて、発表をしました。私は歴史のグループで、ロシア人の男の子と2人でした。ロシア人の男の子は義経がチンギス=ハンになったという義経伝説について、私はナポレオンがロシアに攻め込んだ時の祖国戦争について紙芝居形式で発表しました。

また、ウラジオストクにあるSONYでの研修も行われました。内容はSONYの製品が店頭でどのようにディスプレイされているかを見学し、実際にディスプレイも行いました。また、店員さんにアンケートもとりました。私がぎこちなくアンケート用紙に書いてある質問を読んでいると「ロシア語は難しい?」と聞かれ、難しいですと答えると「でも日本語も難しいよ」と笑いながら話していました。

  ウラジオストクでは日本人が珍しいせいか、日本人だと分かると驚かれることが多かったです。
また、私がお土産屋さんに入った時には店員さんに「あなた日本人でしょう?その顔立ちは日本人だわ」と言われてびっくりしたこともありました。ウラジオストクには多くの中国人が在住しています。そのため、中国人市場というものが発展していました。ルースカヤシュコーラの約9割が中国人の学生でしたので、中国とロシアは密接な関係であるのだなと感じました。

ウラジオストクでは日本車が愛用されており、通りを見ると日本車が走っています。バス以外のほぼ全ての車が日本車であるといっても良いでしょう。これらは日本の中古車で、新潟から輸入されているものなんだなと思うと、ロシアがとても身近に感じられました。また、街にはお寿司屋さんや日本食のお店、カフェもありました。スーパーには高い値段ではありますが日本製品も販売されており、韓国のインスタント食品や調味料も売られていました。

今年のウラジオストクは大雪に見舞われたため、外出するのが大変でした。11月位から気温が-15℃から-20℃なので、雪が凍ってスケートリンクのような状態になってしまいました。しかもウラジオストクは急な坂道が多いため、下りの時に滑って転んでしまうこともありました。冬場はコート・ブーツ・手袋・帽子が必需品です。私は11月頃になっても手袋と帽子をしていなかったため、お世話係の岩瀬さんに「進藤さん!!手袋と帽子!!」と何回か注意を受けました。また、ロシア人の友人にも「帽子被らないと風邪ひいちゃうよ!」と注意を受けました。その後、ちゃんと帽子を買ってきました。ロシアのコートやブーツはとても温かい作りになっています。ブーツの内側は毛皮のようになっているので、日本で履くと寒さを感じないくらいです。

留学に行って、多くの行事を見たり、参加することができました。9月の下旬ごろには、「トラの日」というイベントがあり、多くの人々がトラ柄のシャツなどを着て街の中心にある広場までパレードをしていました。10月の初旬にはルースカヤシュコーラの生徒全員でスポーツ施設に行き、スポーツ大会を行いました。各々好きなスポーツを楽しんだ後、適当にチームごとに分かれてチーム戦をし、競い合いました。11月にはルースカヤシュコーラで文化祭がありました。中国・韓国・アメリカ・日本ごとに分かれて、演劇やダンス、歌を披露しました。12月には約13の大学が合同で文化祭を行いました。それぞれの大学に留学している外国人のみが参加するもので歌や演劇といった部門があり、審査員の方がいらっしゃって採点をされていました。そして、極東国立総合大学は総合で1位を獲得することができました。

ウラジオストクへの留学は、辛いこともありましたが、それ以上に楽しい思い出を得ることができました。また、外国に滞在することによって世界がいかに広いものかを実感することができました。今はテレビやインターネットなどで簡単に外国のことを知ることができます。その国の文化や風習、人口、歴史など・・・。しかし、実際に行って肌で感じることの方がより多くを得られると思います。「百聞は一見に如かず」という言葉が、この留学にぴったりでした。私たちの後輩で、もし留学に迷っている人がいたら是非、留学に行って様々な体験をしてきて欲しいと思います。



ロシア留学を終えて

大塚 由貴

4ヶ月のロシア留学を終え日本へ帰国して、1ヶ月が経とうとしている。あの毎日が新しい発見と喜びと苦難に溢れていた留学生活は今でも鮮明に記憶に残っている。

期待と不安を抱えて日本を旅立った私を待っていたのは見たこともない世界だった。街並みや風景、人びと、言葉。そのどれをとっても日本とはかけ離れていた。嗚呼、此処はロシアなんだ。そうやっと実感したとき、やっと私のロシア留学生活が始まった。

ロシアに着いてからのはじめの1ヶ月ぐらいは、言葉の違いにとても苦しんだ。授業で先生の言っている事が分からない。テレビを付けても流れてくるのはロシア語だけ。特に困ったのはスーパーでの買い物のときだ。ロシアでは計り売りが主流で何をどのくらい欲しいのかという店員との遣り取りが必要になってくる。どう表現すればいいのか、向こう側が何と言っているのか。毎日夜遅くまで辞書と睨めっこして、わからない単語を調べだして必死にノートに書きだした。

しかし、ある時を境に彼等が何を言っているのかわかるようになった。先生が言っている事がわかる。街中を歩いていても、ただ音符の羅列にしか思えなかったロシア人同士の会話が少しずつだけど理解できる。目の前のもやもやしたものがぱぁっと晴れ渡り、それからの留学生活は私に喜びを与えてくれるものとなった。

正直な話をすると、ロシア人は見た目が怖い。身長も体格も私たち日本人よりも遥かに大きく、怖いと感じる一番の要因は失礼ではあるが何だか不機嫌そうに見える顔だったりする。若いロシア人はそうでもないのだが、特にロシア人のおじさんやおばさんは少し物怖じしてしまう。でも勇気を出して道を尋ねてみたりすると、彼等は親切に教えてくれる。また此方が日本人だとわかると、嬉しそうに色々教えてくれたりする。ある時私が出会ったロシア人のおばさんに私が極東国立総合大学(以下、ДВГУ)で勉強している事を話すと、自分がトヨタの工場で働いていて少し日本語が話せること、ウラジオストクの街についてなど気さくに色々な事を教えてくれた。怖い見た目からは想像できないような優しい微笑みを浮かべながら話してくれる彼女を見て、ロシアの温かさに触れた気がした。

留学中の授業はДВГУの中でもРуссая школаという所で行われた。この呼び名は古いものらしく、いまはИнститут международная образования、頭文字をとってИМОと呼ぶのだそうだ。授業の内容は文法と会話、歴史、民俗学、美術、ウラジオストク市街の探索などだった。一番面白かった授業はウラジオストク市街の探索で、担当のイリーナ・セルゲイヴナという先生と共に大学を飛び出していろいろな場所へ行った。市場や中央広場、カフェ、要塞博物館、映画館などいろいろ。特に印象深いのは要塞博物館で、皆で毎日正午ちょうどに打たれる大砲を見に行った。博物館の中は世界大戦で使用された銃などの武器、当時のウラジオストクの様子などが展示されていた。屋外には戦車や大砲がたくさんあって、日本じゃ見られない光景が広がっていた。

留学中は授業のほかに、いろいろな行事にも参加した。ロシアについてからすぐにあった歓迎会にスポーツ大会、ДВГУの文化祭、SONY研修、プリモールスカヤ地域の文化祭、それからクリスマスパーティー。11月に行われたДВГУの文化祭では私たち日本グループは二手に分かれて、私の所属したチームでは『САМРАЙ』(侍)と題した時代劇を披露した。準備も練習も十分にできなかったが、ロシア人をはじめ、同じРуссая школаで学ぶ中国人や韓国人の生徒たちにも好評だった。

11月になる頃には、ウラジオストクは雪に包まれ始めた。今年はウラジオストクで12年ぶりの大雪と云われるぐらいの豪雪だった。ロシアの冬は日本のそれと比べ物にならない程だと覚悟してきたつもりでいたが、いざ冬になってみると私の想像を超えた極寒の世界が待っていた。毎日が日中になっても気温がマイナス、早朝や夜になればマイナス30~40度。少し買い物に出かけるにしても帽子にマフラー、手袋、コート、そして極寒使用のブーツを履かなければ凍死してしまうのではないかと思うほどの寒さだ。ロシアの冬は『寒い』というより『痛い』。でもロシアの冬は嫌な事ばかりではない。日本では経験できない凍った海の上を歩きまわったり、またクリスマスや新年に近づくと街中がイルミネーションで色付き、私たちの身長の何十倍あるツリーが飾りつけられた。

たった4ヶ月という短い期間であったが、このロシア留学を通して学んだことはロシア語だけではない。この留学はきっとこれからの私の人生に大きな影響を与えていくのだと思う。言葉にしてしまうと薄っぺらく感じてしまうが、私がロシアで学んだことは数えきれない。多くの事を見て感じて、考えて、学んで、本当に夢のような日々だった。またいつの日か、ロシアに行きたいと思う。

この素晴らしい留学に参加できたことを先生方や両親、一緒に留学した仲間たち、留学に関わったすべての人びとに感謝し、ロシア留学をただの思い出にしないようにこれからの人生に役立てていきたい。



留学を終えて

冨田 ちひろ

行く前や行った初めのころはとても長いものに感じていた4ヶ月という期間は、あっという間に過ぎ去り留学を終えてもう1ヶ月が経った。初めての海外だったので色々と緊張や不安もあったが、帰る頃になるとすっかり生活に慣れてもう帰らなきゃいけないと思うととても寂しくなった。毎日が新しいことの連続で大変なこともあったが非常に良い経験になったと思う。

ロシアに着いて初めの頃はロシア人が何を言っているかまったく聞き取れず、意味がわからなくてうまくコミュニケーションがとれず苦労した。例えば私の部屋に備え付けてある電話が不調だったためジェジュールナヤ(寮母)に話した。しかしどこが悪いのかをうまく伝えられず、私たちの生活の世話をしてくださっていた岩瀬さんに手伝ってもらって何とか直してもらった。このように何かトラブル等があったらジェジュールナヤに言って対処してもらうのだが初めの頃は言葉がわからずびくびくしながらだった。しかし一月ほど経つとだんだんと耳が慣れてきて聞き取れるようになってきた。そして電球が切れたときなどに自然にジェジュールナヤにお願いできるようになっていた。これは授業のおかげであると感じた。

授業については、まずクラス分けのテストを行いレベルにあったクラスにそれぞれ振り分けられる。私のクラスは日本人ばかりで、しかもほぼNUISのクラスだった。それなので緊張もせず授業に臨むことが出来た。先生はみんなとても明るくて優しかった。私たちが聞き取り易いように丁寧に発音してくれたり、黒板にスペルを書いてくれたりととてもわかりやすく授業をしてくれた。会話の授業ではその内容の状況を想定してみんなで役を演じたりしながら練習をしたりもした。例えば買い物の内容であったら店員と客に役を振り分けて会話練習するなどだ。さらに途中から日本人の60代の女性が同じクラスになり一生懸命勉強しようとしている姿を見て自分も頑張らなくてはという気にさせられた。

ロシア語学校の授業とは別に、世話をしてくださった岩瀬さん(ДБГУの日本語教師をしている)がロシア人の学生と一緒に行う会話クラブのような授業をしてくれた。そこではやりたいテーマを決めグループに分かれて発表を行った。グループは日本人とロシア人の混合で、日本人はロシアについて調べてロシア人は日本について調べた。私は新年の迎え方について調べたがロシアと日本で似ているところや違うところなど比較が出来て面白かった。そして授業の後にみんなで話しをしたりご飯に行ったりと、この機会を通して仲良くなれて良かった。授業の無いときに一緒にスケートに行ったり、12月30日には知り合いのアパートを借りてみんなで騒いだりもして本当に楽しかった。さらに楽しかっただけでなく彼らは日本語がとてもうまくて自分もロシア語を頑張らなくては、とここでも感じさせられた。

授業だけでなく、学校では文化祭が2回あり11月の方では国別で各国2グループずつ発表した。私たちは時代劇のようなものをやった。シナリオや動きなどもみんなで考えて台詞はもちろんロシア語で行った。大変だったけど協力し合ってやり終えて拍手や歓声をもらったり、韓国人の友達にも終わった後に面白かったと言ってもらえてとてもうれしかった。中国や韓国の発表も歌や踊りなど色々と見ることができて楽しかった。12月の方は沿海州の学校が集まって行う大きなもので、私は劇と演奏の二つに出た。劇では中国・韓国・アメリカなどの様々な国の人と一緒に行い、練習を通して仲良くなれて良かった。そしてとても良いロシア語の勉強にもなったと思う。演奏の方は、音楽の授業でやっていたローシュキというスプーンのような打楽器を使って演奏した。劇よりもリハーサルの機会が少なくて不安だったがこれも無事に終えることが出来た。この文化祭を通して他の国の人や、授業の担当以外の先生とも仲良くなれて良かった。

学校以外の生活面でも様々な新発見があった。行く前はロシアという国についてテレビはニュースばかりじゃないかなど硬いイメージを持っていたのだが、実際にテレビを見てみるとバラエティーばかりだったりしてみんなで驚いた。他にも買い物に行って店員の態度が日本とまったく違うことにも驚いた。日本ではお釣りがあるのが当たり前だったがロシアではそうではなく、よくもっと細かいお金が無いのかとよく怒られた。そのことは少し大変だったが買い物で楽しいこともあった。ロシアには多くの市場があり、ロシア人や中国人が経営している。そこでは店員と客が値切りを楽しみながら買い物をしている。最初の頃は数字の聞き取りも難しく近寄りがたかったが、聞き取れるようになると店員も人柄がよくとても陽気に話しかけてくれて楽しかった。友達とコートを買ったのだが知り合いに手伝ってもらいながら見事2000ルーブル(約6000円)くらいの値切りに成功した。そして帰り際に日本語で「ありがとう」と「さよなら」の言い方を聞かれるなどとても気さくなおばさんだった。このように買い物をしたりカフェに言ったりして自分が少しずつでも成長したなというのを実感できて楽しかった。そしてロシア語だけでなく精神的な面でも成長できた気がした。さらにウスリスクという街へ行った時に偶然行った教会で行われていたミサを見学でき、生のロシア正教を体感できたこともうれしかった。

初めてだらけの連続で色々苦労もしたけれど、いろいろな人に助けられて無事に留学を終えた。この留学を通して生のロシアを知ることができたとともに日本についても今までとは違った視点から見ることができた。それによって当たり前だと思っていたことが実はそうではなかった等、視野が広がり考え方も変わった気がした。様々な意味で成長でき、ロシア人等の友達が出来たりと交友関係も広がり留学に参加して本当に良かった。この経験で得たことをこれからに役立てていきたい。そしてこれからもロシア語の勉強を続けていき、再びロシアに訪れたいと思う。