私の留学体験記
中国留学を終えて
丸山 和朗
【はじめに】

1年生前期の終わり、私はまだ言語選択で何語を選ぶかも決めてなかった。そんな自分がまさか1年後に中国に留学するなんて考えてもいなかっただろう。そもそも中国語を選んだ理由も単純で、
日本と同じで漢字を使うからというものだったと思う。そんな訳だから始めは留学にも関心がなく、他人事のように考えていた。しかし、留学の1次募集が終わってすぐに先生から「本当に留学に行かないの?」と声をかけられ、
親に相談してすぐに2次募集に応募した。このときになってもまだ留学にいく実感はあまりなかった。しかし事前研修を重ねるたびに実感がわいてきて、留学に行くのだったら今まで以上に勉強に真剣に取り組んで、
必ず実力を伸ばそうと思うようになった。そんなことを考えているうちにあっという間に出発の日になった。
【生活】
北京での生活は慣れるまでに時間がかかった。交通や食事、生活習慣など日本と全く違うからだ。
北京の交通は日本人からすると考えられないものだった。歩行者が信号を守らないのは当たり前で、隙があれば道路を渡ってしまう。運転手もそんなことはお構いなしに運転しているので、
歩行者の数十センチ手前を横切ったりする。車の割り込みも多く、タクシーの運転手でも強引に車線変更をしてぶつかりそうになっていたりもする。しかし、留学も後半になってくると自分でも無意識のうちに交通マナーが悪くなってきて、
何度かヒヤッとしたこともあった。
中国で食べた中華料理は日本の中華料理と全く違うものだった。日本で食べるよりもおいしいものも多かったし、逆に最後まで好きになれなかったものもあった。そのせいでなかなか料理に慣れない人もいた。辛い料理は信じられないほど辛く
、麻婆豆腐なんてとても完食できないほどだった。香菜やジャスミン茶などの匂いが独特なものも多くて苦戦している人も多かった。しかし料理に関して順応が早いようで、ほとんどなんでも好き嫌いなく食べることができた。
買い物に関しても日本と違うことが多くて面白かった。中国人は当たり前のように値切るということをしているからだ。驚いたのは、教科書の内容が「値切り方」だったことだ。もちろんスーパーやデパートではできないが、
個人経営の店などは始めから値段を高めに言ってくる場所も多かった。そんな場所では「太貴了!」(高いよ!)から値切りが始まり、うまくいけば半額にまで値切ることができる。それに会話の練習にもなり一石二鳥だった。
【勉強】

授業に関しては主に中国の歴史や民族などを学ぶ歴史学院での授業と、中国語を学ぶ漢語文化学院での授業に分けられる。中国語の授業に関しては今年から同じ大学の人だけの授業ではなく、
他の国の留学生と同じクラスで勉強するということだったのでどう接したらいいのかということも心配だった。実際に授業が始まると、最初の1か月は先生の話している中国語を聞きとって理解することで精いっぱいで、
授業が終わると疲れきっていることが多かったように思う。また、授業以外の時間も予習や復習に費やすことが多く自分の時間がなくなることもあった。しかし1か月を過ぎたころからは徐々に先生が何を話しているか聞き取れるようになり、
授業に出ることが楽しくなってきた。
中国語の授業は、「中国語会話」・「中国語聴力」・「中国語読写」の3つでどの教科も内容が似ているので授業の内容は理解しやすいようになっていた。しかし裏を返せば、1つでも気を抜いているとほかの2つにも影響するというものだった。
クラスメイトは韓国や北朝鮮、インドネシア、タイ、アメリカ、イギリス、ベルギーなどの国から来ていて国際色豊かだった。それぞれの国の文化についても聞くことができたし、何よりもみんな明るい性格で楽しく中国語を学ぶことができた。
また、クラスメイトとは何度も一緒に食事をして、そこでの会話の中から身に着いた中国語もあった。留学も後半になってくるとクラスメイトとも親しくなり、授業中にずっとちょっかいをされていたこともあった。それに、
中国語だけでなく様々な国の言葉についても教えてもらったりした。
中国の歴史などの授業では様々な場所に参観に行った。北京市内の多くの名所旧跡にも行ったし、1週間ほど承徳に研修にも行った。万里の長城や避暑山荘などの世界遺産にも行き、中国の歴史の長さと建築物の規模の大きさを改めて知った。
授業以外でも北京市内を少し歩けばいたるところに遺跡があり、そこでも中国の歴史について知ることができた。また、近代の日中関係の授業では日本で学ぶのとは違う視点から考えることができたと思う。
【交流】
師範大学に通っている日本人の人たちとも仲良くなった。特に今回の留学はNUISの卒業生や休学して留学している先輩が4人もいてとてもお世話になった。十分に中国語も話せない自分達に勉強のアドバイスをしてくれたり、
北京の観光にも連れて行ってくれた。それ以外にもさまざまな日本人と交流して多くの刺激を受けた。自分より年下でも高校の時から北京にいて中国語がペラペラな人や、社会人になってから中国語を勉強するために留学している人など、
みんな想像以上にしっかりとした目標を持って勉強していた。留学の後半では一緒にスキーに行ったり、忘年会や新年会などの飲み会もたくさんした。こうして同じ日本人と付き合うことで、日本人の性格や特徴も気づくことができた。
こういった人たちのサポートがなければこんなに楽しい留学生活は送れなかったと思う。
【留学を終えて】

留学は自分で想像していたよりも短く感じた。日本で同じ4カ月間生活したとしてもこんなにも充実した生活はきっと送れないだろうと思う。また自分で言うのは恥ずかしいが、留学を通して中国語のレベルは以前に比べて確実に上がったと思う。
しかし、中国で生活をしたり、現地の中国人と普通に話すほどのレベルにはまだ達していない。留学に行く前は今までよりも中国語が上手になればいいと思っていた程度だが、今ではただ単に話せるようになるのではなく、
それを使って中国の歴史や文化をもっと深く理解したいと思うようになった。
今回の留学で私は今まで体験できなかったような貴重な体験をたくさんした。この経験を今後の学習や進路選択に生かしていきたいと思う。
最後に今回の留学でお世話になった日本人のみなさん、片言の中国語しか喋れない自分達に丁寧に中国語を教えてくださった先生方、短い期間だったけど同じクラスで良かったと思わせてくれたクラスメイトに本当に感謝しています。
ありがとうございました。
我在中国留了半年学
井浦 画功
私は4ヶ月間、中国の北京師範大学に留学してきました。中国に行ってからの4カ月はあっという間に過ぎてしまいました。まだ出国する前は、楽しみ、期待こそあったもののやはり不安が大きかったです。無事に着くことができるのか、今までずっと日本で暮らしてきたけど、中国の生活に慣れることができるのか、友達はできるのか、授業はどのようにしてやるのか、など。
そんな不安などお構いなしに、時間は経ち、気がつけばもう中国、北京でした。着いてまず思ったのが日本語がないという事でした。あちらこちらで中国語が飛び交い日本語をしゃべっていたのは私たちくらいで、まさにここは日本ではなく中国なんだなぁと感じました。そんなことを考えてるうちに大学までの送迎のバスがきて空港を後にしました。中国では右側通行のためそこでもまた、ここは日本じゃなんだなぁと思わされました。私は今回の留学が初めての海外で、一つ一つのことで感動していました。
大学に着いてから授業が始まるまで、1週間ありました。新型インフルエンザの影響で他の学生たちと接触し感染することを避けるためまず1週間隔離されていました。その間、大学の外へ出ることは禁止させられていて、なにもするこがなく、大学構内のスーパーで日用品を買ったり、大学の中を歩き回る程度でした。特にすることはありませんでしだが、外国で初めて生活するということでなにもかもが新鮮に思えました。
買い物するときに、日本と比べとても物価が安いことに驚きました。もともと中国では物価が安いことは知っていましたが、実際に買い物に出てみることでその安さを実感できました。商品を一つ一つ日本円にして考えてみてものすごく安いと実感することができました。またバスや地下鉄、タクシーもとても安いです。バスは1元、日本円で13円程度で地下鉄は2元、26円くらいですね。たったこれだけでだいたい北京市内ならどこへでも行くことが可能です。タクシーも初乗りが10元、日本円で130円程度と、とても安く気軽に乗れてしまいます。日本の場合はどこか遊びにでも出かけるときは、電車やバスなどをよく使い、タクシーは値段が高いため余ほどでない限り使わないでしょう。私は中国では、タクシーをよく使って遊びに行ったりしていました。
そのような遊びに行く場所は大学から距離は近く、タクシーで15分ほどで着きます。そこで北京がいかに都会かということを実感できました。私の地元の新潟とは比べ物にならないくらい、お店、ビルがありとても1日じゃまわりきれません。
話を変えますが北京での授業はとても楽しいものでした。授業は、中国語、英語で言えばスピーキング、リスニング、ライティングの他に、日中関係や、中華民族、絵画、書道、太極拳などがありました。絵画や太極拳など、中国文化を現地で体験できるという機会を得ました。絵画や書道などは、実際似たようなことを日本でやったことがありましたが、太極拳というのは全く初めて習うものでした。太極拳はひとつひとつの動きに意味があるそうですが、先生の言っていることがいまいち聞き取れず、あまり理解はできませんでした。とりあえず、身体だけではなく精神面をも鍛えられるそうで、また軽い運動として太極拳をやっている人もたくさんいるそうです。よく大学構内を歩いてると、公園などでやっている人を見かけました。
中国語の授業は外国人たちと一緒で、同じクラスには、日本人以外にアメリカ、イギリス、ベルギー、韓国、北朝鮮、タイ、インドネシアの人たちがいました。国もバラバラで、年齢もバラバラ、中には大学の先生方と同い年くらいのおじさんもいました。授業が始まったばかりのころは、そんな人たちと、まだまだ会話できる程じゃないレベルの中国語で何を話せばいいんだと思い、たいして話をしていませんでした。ですが、すぐにそんなことはなくなり持っている限りの中国語を使い、いつの間にかクラスメイトと楽しく会話していました。毎日一緒に勉強し、くだらない冗談を言い合ったり、ご飯を食べに行ったりと日本にいるときと同じことをしていましたが、全てのことが楽しかったです。様々な場面でその国の文化が垣間見えたりして、中国に行ったのに他の外国についてもたくさん勉強することができました。そんなクラスメイトも留学が終わるころにはみんな仲良くなっていて、帰るときとても寂しかったです。
またクラスメイトのほかにもたくさんの友達ができました。中国人だけにとどまらず、さまざまな国のたくさんの人と知り合うことができました。大学内の寮ではなく、外で部屋を借りている人の家に遊びに行くこともありました。DJをやってる人もいて音楽を聞かせてもらったり、ゲームなどをして楽しんでいました。
またたくさんの日本人とも知り合う事が出来ました。2009年度に、新潟国際情報大学を卒業した、滝沢亮太さん、大野美南子さん、そして休学中の磯部公美さん、渡辺岳さんらをはじめ、多くの先輩方にお世話になりました。先輩方には普段の生活、学習についてはもちろん、多くのことでアドバイスを頂きました。自分の知らないようなことをたくさん知っていて、私は世界観、価値観が変わりいろんなことに興味を持てるようになりました。またよく一緒に遊んでいただき、そこで学ぶことが多く、人間的に成長させてくれたとおもいます。
このような先輩たちとは、おそらく日本にいても仲良くなることはなく、中国に留学へ行ってこそ知り合うことができ、仲良くなれとのだと思います。
このような出会いを含め、この留学で得たものは図りえないものであり、一生の思い出となりました。日本では経験できないようなこともいっぱいでき、とにかく4ヶ月間、一日一日が充実していて本当にあっという間の4カ月でした。

このような機会を与えてくれた、学校、先生方、両親にとても感謝しています。ありがとうございました。
また今回一緒に中国に留学へ行ったメンバーは正直、留学へ行く前はほとんど話をしたことがなく、どういう人なのかなど全く知りませんでした。ですがこの留学を通して仲良くなり、
このメンバーで留学を無事に終えることができて本当によかったです。中国留学を無事に終えることができたのもみんなの協力があり、支えあう事ができたからです。留学ではただ言語や中国について以外でもたくさん勉強することができました。
今、私が言えることは留学に行って本当によかったということです。これから留学のチャンスを与えられる後輩たちには、この機会を無駄にせず、ぜひ参加していただきたいです。
留学を通して見えたもの
細貝祐美子

4ヶ月の中国留学から帰ってきて1ヶ月が経とうとしている。1年前は留学については「行けたらいいな」くらいにしか思っていなかった。そもそも言語選択で中国語を選んだ理由も、中国語が日本で求められているからという理由が3割。周りの友達の多くがロシア語に興味を抱いてロシア語の人気が高くなっていたので「みんながロシア語選ぶなら、ロシア語はみんなに教えてもらえばいいや」という思いがあったのが5割。家にある薬の説明が中国語で書いてあって使い方が分からないから知りたいというのが1割、その他が1割という、留学なんて全く関係ない理由だった。
そんな私が留学を意識し始めたのは、2年生の留学に行っていた先輩たちが帰ってきてから話していた留学先での出来事を聞いたからだ。日本にいては経験できないような考えや体験話を聞いて楽しそうだと思い、「行けたらいいな」から「行ってみたい」と考えが変わった。
留学を決意した私は自分の中でテーマを一つ持っていた。中国語を選択した理由に特別強い思いがあったわけでもない私は、その時中国語がうまくなりたいという考えはあまりなかった。だけど、せっかく留学に行くのだから何も考えないでただ中国に行っただけというのはよくないと思った。だから、私は「異文化理解」をテーマに挙げた。自分が常識だと思っていることがどのくらい違うのか、自分が抱いているイメージとその国の実際の姿はどう違うのか、行って見なければ分からないことは何があるのかなど、自分が興味を持てそうなことについて考えてみようと思った。
中国に着いてから数日は私の中で中国に来たという感じはなかった。買い物も日本製品は売っていたし、食事も「こういう味付けだ」と思えば、少し不便はあったがトイレ以外は日本にいるような感覚で過ごしていた。
だけど、言葉が通じないということがとても不便だと感じることがたびたびあった。例えば、スーパーで店員さんに「袋いりますか?」「1元ありますか?」などと聞かれても分からず戸惑ってしまうことはよくあった。他にも、新型インフルエンザの影響で毎日体温チェックをしていたが、たまたま37度が出てしまい寮のお姉さんに何か尋ねられたけれど何を言っているか分からず、小林先生の部屋まで先生を呼びに言った事もあった。
言葉が通じないということで一番不便だと思ったのは、授業が始まってからだった。先生が話していることが分からず、次に何をすればいいのか分からず戸惑ってばかりだった。授業の予習をして出席するけれど、日本の授業とは違い参加型なので教科書の単語だけでは先生に指されたとき自分のことが言えず、常に辞書を使って単語を調べている必要があったため、電池が凄い勢いでなくなっていった。クラスの人たちもいい人たちばかりでみんな話しかけてくれるけれど、文法が分からなかったり、自信がなかったり、こういう時どういう言葉を選べばいいのか分からなかったり、話してくれた内容が聞き取れなかったり、単語が分からなかったりして会話が繋がらないことがあった。せっかくいろんな国の人と話せる機会なのに、自分が言葉が話せないからコミュニケーションが取れないのが凄く申し訳なくて、辛くて、悔しくて、心がポッキリ折れたこともあった。
歴史学院がつけてくれたパートナーの王くんとも最初はずっと英語で会話していた。と言っても私は英語も分からないので簡単な単語しか話せなかったし、メールするときは辞書を開いてひたすら調べていた。英語にしても、中国語にしても、私が辞書を開き30分以上かけて送ったメールの返信が5分もしないで届くのは、なかなか辛かったりもした。
言葉が通じないと交流も成立しないということにあらためて気付くことになった。異文化理解の前に言葉の理解に意欲を向ける必要があるのだと身をもって知った。

言葉が分からなくても日常で気付く異文化や交流は沢山あった。
例えば、お店の店員さん。留学に行った先輩から愛想がよくないと聞いていたが、確かにお店によってはものすごく不機嫌な対応をされたこともあった。でも、すべての店員さんがそのようなわけではなかった。果物を売っていたおじさんはおまけをしてくれる人もいたし、お昼時などの込んでいる時間帯ではなければ飲食店の店員さんの対応も普通だった。
私が個人的に驚いたことは職業が沢山あると言うことだ。当たり前と言えば、当たり前なのかもしれないが、私の中ではちょっとした感動だった。例えば、ファーストフードでは食べた後の後片付けをしてくれる人や配達をする人がいた。バスでは乗車のお金を受け取り、次の停車駅を教えてくれるバスガイドさんのような人がいた。この人たちはお年寄りがバスに乗ってきたとき席がないという状況だったら、座っている人に席を譲らせるように行動していた。よく分からない仕事では、スーパーの店の中でひたすら立っている人たちがいた。困ったことがあったらその人たちに尋ねればいいようになっているのかどうかは分からないが、とりあえず立っている人たちがいたのは事実だった。
中国人はみんな飲み物を持ち歩いていた。北京が乾燥しているという気候だからなのだろうが、学校の先生、学生、バスの運転手さんもスーパーで立っている人も、みんなお茶やお湯などの何かしらの飲み物を持っていた。確かに乾燥していて、冬になって暖房が使われるとさらに乾燥した。洗濯物が早く乾いたことは嬉しかったが、喉が痛くなったのはなかなか困った。風邪が流行ったときは、先生たちは「北京は乾燥しているから水分を多くとって、ビタミンを採りなさい」とよく言っていた。パートナーの王くんも同じような内容のメールをくれたので、北京では当たり前のことなのだろうなと思った。
留学先ではいろんな人たちがいた。
クラスは、インドネシア、アメリカ、韓国、イギリスなど他にもいろんな国の人たちがいたし、寮も韓国人を中心にいろんな国の人がいた。太極拳の授業では、タイ人にいろいろと助けてもらった。
日本人の人たちにもいろいろと助けてもらった。先輩の大野さんと滝澤さんにはずっと面倒を見てもらってお世話になったし、クラスでは日本人の女の子にいろいろと助けてもらいっぱなしだった。他の日本人の人たちにもいろいろ誘ってもらった。そして、みんなすごい人たちだった。何がすごいのかはよく分からないけれど、とにかくすごい人たちだと思った。話を聞いていると、自分の知っている世界はなんて小さいのだろうと気付いた。まだまだ、自分は何も知らないのだと実感した。
4ヶ月の留学は短いようで長い、長いようで短いものだった。6人で留学に行って、無事に6人で帰って来ることができてよかった。沢山の人たちにお世話になって、多くの人と出会えて短いながらもとても有意義に過ごすことができた。
留学メンバーにはずっとみんなにお世話になりっぱなしだった。
特に美紀ちゃんには4ヶ月同屋としてすごいお世話になった。よく私みたいな面倒な人間と同屋でいられたと感心する。あと、君がいなかったらきっと不思議な食べ物に手を出す人はいなかったのではないかと思う。楽しいきっかけをありがとう。
楽しいことだけではなかったけれど、辛かったことも驚いたことも全て含めて、すごくいい経験ができた留学を支えてくれた人全てに感謝している。本当にありがとうございました。