私の抱負切磋琢磨し 高みを目指す同時代生きる意味を考えようているので、これらの議論に参加しています。2011年の東日本大震災以降の原発再稼働や震災復興をめぐる様々な議論、また現下のコロナ禍をめぐるワクチンやマスクなど、感染防止と経済活動の両立をめぐる議論などに嫌でも巻き込まれているのです。科学的判断と政治的判断の関係についての議論など、ずっと続いています。ではこうした議論に「大学生として」参加するということは何を意味するのでしょうか。まずそれは理屈で考えるということです。人間はもちろん感情的な生物でもあって、そこに大事な意味もあるのですが、社会や組織について感情的なものだけで判断して良いのか、という問題が出てきます。ですから理屈で考える場合には、どこまでまだ寒さの残る中、少しずつ春の暖かさを感じる季節になりました。本日は私たち新入生のためにこのような素晴らしい入学式を挙行していただき、誠にありがとうございます。また、数々の激励のお言葉をいただき、心より御礼申し上が自分の感情でどこからが理屈の問題かという線引きも大事なものになっていきます。そもそも自分の好きな情報だけを受け入れるのも人間の性(さが)のようなものですし。だからこそ理屈によってものを考えるということが重要になってきます。そしてその理屈ということ自体もかなり多くのことを意味します。ある事態が起こったとしても、その因果関係はどういうものなのか、あることが起きたときにその原因は一つのものに限定できるのか。それとも多くの要げます。私たちの高校生活は、新型コロナウイルスの影響により、学校行事が中止になり、友人達とコミュニケーションを取る機会が少なくなるなど、満足できるものではありま現在、新型コロナウイルスの感染症法上の位置付けのし、少しずつコロナ禍前の日常に戻りつつあります。私たちは、これから始まる大学生活を、友人達とコミュニケーションを取りながら過ごし、協力しあいながら学業に励めることに、とても大きな期待感を抱いています。日常生活や学校行事などを通じて、自身の成長に繋げていきたいです。因が複雑に絡み合って事態は動いているのか。どこまでがわかることで、どこからがわからないことなのか。それらも理屈で考えることは、大学での授業の中心になると思います。そして理屈で考えるということは、もうひとつの大学の教育の特徴に関連してきます。それは「疑う」ということです。これははっきりいって高校までの教育とまったく異なる点です。大学では教員を疑っていいのです。この先生の言っていることは本当だろうか。もちろん、うちの大学で嘘八また、勉学も意識して取り組みたいと考えています。情報化の進む社会で生きていくためには、膨大な情報から、どれが正しいのかを的確に判断する力や、グローバル化する社会において、世界中の人々とコミュニケーションを取るための言語力、相手のことを理解するための知力が必要です。思います。新潟国際情報大学での4年間を有意義なものにするために、常に向上心をもち、謙虚さを忘れず、日々成長し続けることをお誓いし、新入生代表の抱負とさせていただきます。これらの力を先生方から学び、友人達と切磋琢磨しあいながら高めていきたいと百言っている教員はいないと信じていますが、それでも講義中、教員のいうことを鵜呑みにしてはいけないのです。教員の話のなかに自分で疑問を見つけ、その点について教員に質問したり、図書館に行き自分で他の専門研究者の意見を調べたりするのでん。自分でものを考える方法を教えているのです。これが大学での勉強の特徴です。これから最低でも4年間、留学先の大学も含めて、皆さんは多くのことを教員から学びます。そうした勉強を経てみると、おそらくは自分の「好き嫌い」と自分の「意見」の違いもだんだんわかってくると思います。正確にいうとそれらを分けることの難しさがわかってくるはずです。価値判断の難しさといってもいいかもしれません。そうなると、世の中にあふれている「わかりやすいもの」には罠があるということにも気づくはずです。こうして、自分で考え、自分で決め、責任をもつ癖をつけてください。ここでいう責任とは、ちゃんと自分の意見を、その根拠も含めて説明することです。そうした応答する能力こそが責任ということであり、これからの4年間で身に着けてほしいものです。もちろんこの「疑う知性」の対象に、この式辞を入れてもらってかまいません。僕は嘘八百言っている可能性もあるので、カナダのトイレや憲法24条などについても自分で調べてみてください。本日はご入学、おめでとうございました。す。大学の教員は教室で皆さんに知識や技能を叩き込む存在ではありませ新入生代表 情報システム学科 3新潟国際情報大学 学報 国際・情報 令和5年4月発行 2023年度 No.1田中 元気 変せん更でがし決た。定
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