第30 回入学式鵜呑みにしない「疑う知性」をll 本日は本学へのご入学、おめでとうございます。皆さんにとって高校時代は、浪人している方も含めて、ほぼコロナの日々だったことと思います。授業の方法、修学旅行、ふだんの生活など、それらのどれもがコロナ以前とはまったく違ったものだったはずで、みなさん、個人的な経験として本当にご苦労されたことと思います。社会全体としても亡くなった方々も多く、今でも後遺症に悩まされている方も多いはずです。だからこそこういう経験から何を得るのか、ということが大事になってきます。そういうつらい経験から得ることがなかったとしたら、亡くなった方々は浮かばれません。人類がほんの少しでも賢くなることが、亡くなった方に対するせめてもの追悼なのです。痛い目に遭いながら世の中を少しでも良くしていく。そういう人類の作業に参加する。それが私たちの義務なのです。でもそうした大げさな話にしてしまうとわかりにくいですし、入学早々、面倒な話にもなるので身近なところから考えてみたいと思います。また、社会を良くするということではあまりに大きいので、たとえばこの大学を良くするにはどうすれば良いかということを考えてみたいと思います。この大学は私立大学です。新潟平成学院という学校法人が経営し、教職員によって運営されています。カリキュラムを教員が考え、それをスムーズに運営できるよう職員が支えます。もちろん大学の中心は皆さんを教育することですから、皆さんも大学の構成員の重要な部分です。今日からこの大学に参加したその皆さんにも大学の改善には参加してほしいと思います。たとえば、今日、入学式で大学に足を踏み入れる前にも、ほとんどの皆さんは入試の際にこの大学の建物を使っているはずです。 式 辞 2それらの機会にこの大学の建物についてどう思いましたか。どこか直したほうが良いと思ったところはありますか。それらの意見を出すことは大学をより良くしようとする作業に参加することです。そこで、話をもっと具体的にしてもいいかもしれません。たとえばトイレです。入学式というおめでたい場でこういう話をするのも問題かもしれませんが、人間にとって排泄という行為は重要なものです。すべての人間が一日のあいだ、必ず定期的に訪れる場所がトイレです。なんでこんなことを考えているかというと、去年の9月、モントリオールで開催されたアメリカ政治学会の年次総会に参加したこともきっかけです。コロナのためにこの学会もオンライン学会が続いていましたが、久しぶりに対面で開催されました。アメリカという名称のついた学会でありながら、カナダのモントリオールで開催されるのにはいろいろ理由があるのですが、それは省きます。とにかく、その学会の総会は巨大な規模で開催されます。あまりに大規模なので大学ではなく朱鷺メッセのような国際会議場とそのまわりにあるホテルを複数使用します。で、その会場にあるトイレのうち、いくつかにはAていて、誰がどのように使用しても良いというものでした。もちろんこれはLGBTの政治学者たちに対する配慮です。いても深く議論するはずの政治学の学会において、そうした少数者への配慮がないトイレだけでよいはずがありません。公共の空間におけるトイレを考えたとき、この措置は当然のことと考えられます。しかしこの仕組みを地球上のすべてのトイレに今すぐ導入するのも、何か問題が起こりそうな気配もあります。たとえば本学で今すぐ導Gender Restroomと書かれ向性における少数者の人権などにつ入してみても何らかの混乱は起こりそうです。そこで、この公共空間におけるトイレと性的指向性における少数者の関係について考えるために、先ほどとは逆にもう少し社会全体について考えてみても良いかもしれません。たとえば日本国憲法はその第24条で「婚姻は両性の合意のみに基いて成立する」と規定しています。結婚相手は親や会社の上司など、他者が介入することなく、お互い二人だけで決めるという宣言であり、戦前の大日本帝国憲法における家父長制の強さを考えると、この新しい規程は美しいものに見えます。しかし「両性の合意」という文字を厳格に読み取ってみれば、別の側面も見えてきます。つまりこの憲法の規定はヘテロセクシャルな異性婚のみを対象にしていて、同性婚を否定する内容にも読み取れます。しかしまた、ここでいう「両性」とはとにかく人間の男女のことなので、男同士あるいは女同士の結婚だって認めてよいはずだ、ということも言えます。また話はだんだん広がってしまいます性的指が、じゃあこの24条の文言を、より少数者に配慮したものに変えるために憲法改正をすべきだとか、いや、それは他の国民的議論の対象になっている憲法9条の改正につながるからやめるべきだ、などという点についても考える必要が出てきます。大学のトイレをどうするかという身近な問題から始まっても、どうしてもこれらの際限のない問題について考えざるをえないのです。これが現代社会の議論に参加するということであり、このことが同時代を生きるということなのです。もちろんすべての人たちは同時代を生き新潟国際情報大学 学報 国際・情報 令和5年4月発行 2023年度 No.1新潟国際情報大学学長 越智 敏夫令令和和55年年度度
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