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【訂 正】国際文化学科・教授 澤口晋一学業や課外活動に頑張っている学生たちをたたえる表彰奨学金の授与式が6月5日に行われ、平山征夫学長から21人に証書と奨学金が贈られました。学長の激励に、学生たちは一層の活躍を誓っていました。今年度の表彰学生は、学業優秀者(前年度の修得科目の成績が各学年・学科において優秀であった者)が15人(国際文化学科4人、情報文化学科2人、情報システム学科9人)で各30万円。また、課外活動では「妙高市の温泉地での誘客促進の取り組みによる地域経済の活性化」の企画・実施、外国語スピーチコンテストで1〜3位、スポーツで全国大会に出場するなどで活躍した、合わせて6人に各「佐潟と歩む赤塚の会」総会(4月24       5     日)で「赤塚〜越前浜砂丘の再検討と新たな知見」と題して、「赤塚中原邸保存会」総会(5月22日)では「新潟砂丘と赤塚集落置―」と題して講演させていただきました。新潟砂丘は角田山北麓から村上まで全長約78㎞にも及ぶ日本有数の砂丘で、なかでも標高が最も高く(52・3m)広がりの大きいのが赤塚〜越前浜にかけての砂丘です。2、3年前からこの砂丘に興味をもち、土地改変の状況などを観察してきたのですが、気づいたことがいくつかありました。一つは農地として平坦化された砂丘地の数カ所に大きな谷状の地形が存在することでした。不思議に思い、戦争直後に米軍によって撮影された空中写真を実体視(3D)して詳細に調査したところ、土地の改変前の砂丘地は驚くほど起伏に富んでいたことが明らかとなりました。起伏をつくっていたのはパラボリック(放物線)砂丘と呼ばれる地形で、谷状の地形は、この砂丘地形がかろうじてその姿をとどめているものであることがわかりました。新潟砂丘の中ではここだけに残る貴重な地形であり、何とか保全したいものです。また、佐潟の北岸には大きな地すべり地形があり、それによって湖岸線の形が大きく変わっていることも新たに判明しました。―地形学的にみた中原邸の位す。地形と植生と佐潟は一体の系で、これらの貴重な環境を保全し後世に残していく必要があります。「佐潟と歩む赤塚の会」総会ではこうしたことを話しました。「赤塚中原邸保存会」総会では、中原邸の位置をいくつかの視点から地形学的にこうした地形のほかに、砂丘地には林地が点々と分布しています。かつてこの砂丘には植林したクロマツ林が広がっていたのですが、現在はほぼ姿を消し、落葉広葉樹のエノキにとって代わっています。エノキ林は天然更新によって成立したもので、考え方によっては貴重な植生で「国際・情報」70号 学生の名前に誤りがありました(誤) 情報システム学科3年 (正) 情報システム学科3年 とは波によって運搬された砂や礫によって形成された何列にもわたる直線的な高まりで、高まりと高まりの間には堤間(湿)地と呼ばれる凹地が形成されます。中原邸はその堤間地の末端付近に位置することが調査でわかりました。講演をお聴きになっていた御当主の中原堯之さまの昔のご記憶と私の話したことがぴったりと整合し、われながらびっくりしました。その詳細を紹介する余裕はありませんが、まさに地形学と昔の生活の記憶が結びつくことを実感した瞬間でした。土地は人の生活の基盤です。各種史跡や遺跡もそこに立地している理由が必ずあり、その理由が地形学的手法によって解明できる可能性もかなりあります。今後も地形学的な側面から赤塚の特徴を明らかにすることで、この地域に微力ながらも貢献できたらと思っています。講演の機会を与えてくださった「佐潟と歩む赤塚の会」と「赤塚中原邸保存会」の皆さまに深く感謝します。解説しました。ここでは赤塚の集落が位置する砂丘(新砂丘Ⅰ)が、実は砂丘ではなく、浜堤列と呼ばれる地形である可能性を示しました。浜堤列8ページ亀山祐樹亀山裕樹一層の励みにひんれつていれき新潟国際情報大学 学報 国際・情報 平成28年7月発行 2016年度 No.210万円が授与されました。「佐潟と歩む赤塚の会」 「赤塚中原邸保存会」で講演21人に奨学金地地形形学学かからら郷郷土土をを解解明明学業や課外活動優秀者 活躍を表彰

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